TV出演情報

8/15放送のTBSテレビ「2時っチャオ!」内のコーナー「お宅訪問」に出演します。
(地域によってはご覧になれない場合があります)

五月十五日

4月20日のミャンマー寺子屋報告会は、定員を設けなかったら、なんと40人を超える大盛況。
入れば入るものですが、流石にこれ以上は無理という限界がこれでわかりました。
現地で撮影してきたビデオを流しながら、かれんとノエルと私の鼎談に、メコン研究所というNPOで南アジア支援に奮闘しているセインさんも要所要所で加わって、話が弾みました。
このセインさんというのが本当に素晴らしい方で、その誠実無比なお人柄と無私な情熱にかれん達が惚れ込んだのが、寺子屋プロジェクトのそもそもの始まりだったのです。
中国系ミャンマー人の彼は二年前に日本に帰化して今は岩城さんという名前ですが、祖国を捨てたわけではなく、日本国籍の方が国際的に活動しやすく祖国の役に立つということなのです。
商社から高給で引っ張り凧になるくらい優秀な人なのに、NPOでボランティアに献身し僅かな収入もほとんど故国に仕送りしながら、「結婚なんて、そんな贅沢なことはできません」と質素な一人暮らしを続けています。
だから料理も上手で、今回のパーティーではお茶の葉と干し蚕豆の和え物という珍しいミャンマー料理を作ってくれました。
私はヤンゴンで彼に御馳走になって気に入った玉葱いっぱいの揚げミートボールの再現になんとか成功。
それからゴハンにはミャンマー名物の干し海老のふりかけが好評した。
 ミャンマーで買ってきた雑貨のオークションも、だいたい現地価格の三倍から五倍で完売して約二万円の利益が出たし、会費三千円の四十人分で十二万円と合わせて十五万円をミャンマー援護に当てることができました。

ところがこれで喜んだのも束の間、なんと未曾有のサイクロンがミャンマーを直撃というとんでもないことが起こりました。
よりにもよって一番困っている国をいじめることはないでしょうに、カミサマはなにを血迷って、こんな酷い事をなさったのでしょう。
ミャンマーの自然と民衆に惚れ込んでしまった私にとって、もうミャンマーの悲劇は他人事ではありません。
今私に何ができるかを考えて、まずはなによりお金だと、森羅塾にも募金箱を設けました。
かれんは世界で集めた美しい雑貨の店「ハウス・オブ・ロータス」を4月26日から一ヵ月限定オープンしていますが、その店にも募金箱がありますし、店の売り上げの一部はミャンマー支援に当てるので、ぜひそちらにお立ち寄りください。
かれんに頼まれて募金箱の看板用に下記の文章を書きました。

『ミャンマー救援緊急募金』

巨大サイクロンの襲来に打ちのめされたミャンマーが言語に絶するほど悲惨で危険な状態にあります。
この大災害に、私たちハウス・オブ・ロータスのスタッフも痛烈な衝撃をうけました。
実は私たちはミャンマーの貧しい子供たちのための寺子屋を作り、その開校式に打ち揃って出席して来たばかりなのです。
そこで出合った民衆の優しく誠実な人柄と、慎ましく素朴な暮らしぶりに深く魅せられた私たちにとって、彼らの苦しみや悲しみは他人事ではありません。
たださえ厳しい貧困の中で健気に援け合いながらギリギリの生活に耐えていた彼らに、こんな過酷な追い討ちに立ち向かう余力などあろう筈がないのです。
食物も水も電気も医療もない廃墟に、伝染病など二次災害の危険も迫っています。
救援は一刻を争うのに、複雑な政治状況もあって、その動きは鈍く、被害者のほとんどが不安な闇の中に放置されています。
急がなければなりません。
さいわい私たちは寺子屋プロジェクトで協力関係にあるNPОを通じて最も迅速に確実に救援金を届けることが出来ます。
ハウス・オブ・ロータスにいらしたのをミャンマーとの御縁と思し召して、どうぞこの募金にご協力ください。
これ以上ミャンマーの生命が奪われないように、ミャンマーに希望が甦るように、ミャンマーの子供が笑顔を取り戻すように、貴方の愛と祈りをこめた献金をお預かりさせて頂きます。

なおハウス・オブ・ロータスのアドレスは下記の通りです。
住所 港区元麻布2-11-20
電話 03-6802-8444

四月十一日

前回は鍼灸の達人、博多の叢学光師から「凄い気功師に会わせるから」と誘われて急遽京都に向うところまで書いたので、その続きから始めます。

実は私はこの十年近く、「気」の異常に悩まされていました。
二十数年前に気功をはじめたときは、「もしかして私は凄い気功師の生まれ変りじゃないかしら」と自惚れるほどの上達ぶり、というより勝手に気が動きだし舞うようにするする身体が動く「自発動功」とか、丹田に集まり玉のように固まった気が尾てい骨から背骨を這い上り、首から顔に入り眉間に上がり頭頂に抜けると一転下に向い、口胸腹を通って出発点の丹田に戻る「小周天」とか、普通は何年も修行を重ねてからやっと経験するといわれるようなことが次々と起こり、それは明らかに私を元気にし、心身の健康に役立ちました。
さらにはいわゆる超能力とか超常現象といわれるようなこともいろいろ発現し始め、折りからスビリチュアリズムに関心を深めつつあった私の背を押しました。
ところが十年ほど前に事故に遭い鞭ち打ち症になってから、その「気」が暴走しているとしか思えない症状が出て来たのです。
一番困惑したのは、重要なツボが点在する経絡の基幹部を気が縦に一周する非常に気持の良い動きが乱れ、首を中心に螺旋を描き始めたことです。
それに任せると絶えず首がぐるぐる回ってしまうので、いつも意識的に首の動きを止めているのですが、そうすると気は身体の内部でいっそう激しくぐるぐる回ります。
気が見える人によると、私の胸から首にかけて竜のようなものがのた打ち回っているそうですが、自覚的にもまさにそういう感じで、その鬱陶しさといったら、我ながらよく気が狂わないものだと感心するほどです。
幸い鈍感というかふてぶてしいというか、なんとか平静を保ってこの「気の乱」と共生して来たのですが、もしかしてその気功師には、私の気を正してくれる力があるかもしれないという思いが閃いたのです。

今までも、沢山の気功師や医師や霊能者が自信満々に試みながら失敗していることなので、もうほとんど諦めていたのですが、何故かまた奇跡を求めて京都に向ってしまいました。
叢さんが宿舎のロイヤル・ホテルに私の部屋もとっておいてくれたので、七時にチェックインして一休みしていると、叢さんが小柄な老人を伴って現れました。
大連で代々続いた武術一家に生まれ幼時から壮絶な訓練を受けた「五行通背拳」の達人、周玉金(ほんとは金が三つ重なる字ですがパソコンでは出て来ません)師です。
全く日本語が通じない方なので叢さんの通訳で一通り症状を説明すると、
「横回りはいけない、それでは病気になる、縦回りに直そう。舌を上の歯茎に付けなさい。 それで橋が架かり、気が上下に進める」と言い、呼吸法を指示しながら、私の尾てい骨から背骨に沿って指をぐいくいと押し上げていくのです。
それを幾度も繰り返すうちに、ふと気が付くと、それまで首根っこでぐるぐる回っていた気が、胸から丹田に降り、会陰から尾てい骨に回り、背骨を這い登り、首を通って顔に入り、頭頂に抜けてから反転して下に向かい、口から胸へ、そして丹田に戻るという動きに代わっているではありませんか。
あの懐かしい小周天が復活したのです。凄い、凄い。仕事をほっぽり投げて京都に駆けつけた甲斐がありました。

そして翌日は帰りの新幹線を豊橋でローカル線に乗り換え私のお気に入りのクレンジング・スポットである湯谷温泉へ。ここに二日滞在して森羅塾のスタッフと運営企画会議兼慰労会をすることになっています。
「温泉シンポジウム」に講師として招かれた泉山閣の御主人、片桐さんご夫妻と仲良くなり、旅館ではなくご自宅の方に泊めて頂くようになってからもう十年以上経つでしょう。ご自宅といっても旅館のような広さだし川に面した掛流しの露天風呂まであって快適を極めます。
今回はアシスタントが一緒だから遠慮して旅館への宿泊を申し込んだのですが、生憎というより幸いにも満室だし、片桐ご夫妻は所用で上京なさるというので、お留守宅を我が物顔で使わせて頂くことになりました。
留守といったって総ては至れりつくせりで、冷蔵庫には素晴らしい食材や飲み物が用意されている上に、夕ざれば魚屋から刺身も届きます。
もてなしのプロとはいえ、片桐家のホスピタリティーの濃やかさにはいつも感嘆するばかりです。 同行の泉美智子、石井洋子の両アシスタントも感謝感激で、日頃タダ同然にこき使うばかりの私もいささか面目を施しました。

ついでに、昨夏バンクーバーの林住塾に参加した藤原聡子さんが近くにいるので声をかけたら駆けつけて来て、自慢のマッサージまでしてくれたし、有能で働き者のイイオンナに囲まれて、私はほんとに仕合せものです。
五億円を障害者施設へ十億円を教員再教育へと相次ぐ巨額寄付で昨秋マスコミに騒がれた横溝千鶴子さんが昔お世話になった懐かしい隣人であることに気づいてお便りをしたら「是非お会いしたい」とお電話があり、三月半ばに大磯のご自宅を訪ねました。
二十五年ぶりの再会です。
でも、顔を見合わせた途端にその空白が消えうせて昨日も会っていたような感じでおしゃべりが始まりました。
私も若いと言われるけれど、彼女こそ全然変わっていないのですよ。
八十八歳だというのに大邸宅に一人暮しで買い物から家事全般自分だけで私よりきびきびよく働き、頭もこわいほど冴えていて資産管理や税金の申告にも人は頼まないという世にも頼もしい大先輩です。
想像したとおり日本中から援助を求める手紙が殺到したそうで、「一々とりあっていたらきりがないので無視することに決めました」と憮然としながら段ボール一杯の手紙を見せて下さったので、ぼちぼち拾い読みしてみたら、褒め殺しや泣き落としからゆすりたかりに近いものまであり、なんと情けない人たちだろうと他人事ながら恥ずかしくなりました。
彼女は別に親や夫から巨万の富を受け継いだわけではなく、自分の働きで作った資産を無駄使いせずにしっかりとここまで増やしたのですから、それを煮て食おうと焼いて食おうと彼女の勝手で、ああしろこうしろは余計なお世話です。
随分と苦労も多かったその来し方を改めてゆっくりと伺いながら、政官財のお偉方を見回しても、これほど明晰で機知と勇気と義侠心に富み、洞察力、実行力、忍耐力も申し分ない人物が男がどれだけいるだろうかと思い、こういう女性に国政を任せていたら、日本ももう少しマシな状態になっていたのではないかと、今更ながら口惜しく思いました。

この横溝さんの足元にも及ばないけれど、私もなんとか生活が安定した四十台からは国際里親や難民援護の活動に分相応に参加して来たし、同じ年頃に達した長女のかれんはミャンマーの学校に行けない貧しい子供たちのために寺子屋を建てました。
三月二十四日に行われた開校式に親子三代打ち揃って出席するというイベントがあったので、三月はやたらと忙しかったのです。
ミャンマーの旅はいろいろな意味で感動的で、物思うことが多かったので、いずれどこかにゆっくり書くことになるでしょうし、四月二十日には森羅塾で報告会も開くので、ここでは取り敢えずスナップだけご覧に入れます。

寺子屋に向う子供たちの列
寺子屋に向う子供たちの列
寺子屋の前で僧院長を中心に上田・桐島ファミリー
寺子屋の前で僧院長を中心に上田・桐島ファミリー
二階の講堂でこれから開校式が始まる
二階の講堂でこれから開校式が始まる
式典後いそいで祝膳を。お坊さんは昼までしか食事ができない。
式典後いそいで祝膳を。
お坊さんは昼までしか食事ができない。
教室で席に着く。子供のお坊さんも少なくない。
教室で席に着く。子供のお坊さんも少なくない。
よその寺子屋も表敬訪問
よその寺子屋も表敬訪問

三月十一日

森羅塾のお披露目パーティー・シリーズも二月十一日の建国記念日の「日本の味、昼の宴」でひとまず打ち上げとなりました。どのパーティーも、「とても愉しかった」

建国記念日のパーティーに特別出演の新進ヴァイオリニスト永井くるみさんとギターの三浦晃祐さん

「いろんな出会いがあって、新しい友達もゲットした」「料理も美味しかった」と好評だったのは嬉しいことでしたが、いつまでも、パーティーばかりしてはいられない、肝心の講座を早くスタートさせなければと焦ってもいるのです。
取りあえずプロ・エイジ健康シリーズの前哨戦として、たまたま学会などでご上京中のお医者様を森羅塾に拉致して来るという「ちゃっかり、ついで」方式で、二月三日には大阪市立大の井上正康教授、十七日には大分の松山医院の松山家昌先生に、それぞれ興味深いお話を頂いておおいに盛り上がったので、塾の運営法もようやく見当がついて来ました。

それからの一ヵ月は、まずしばらくほったらかしだった本業にバタバタと励み、ドッと疲れて腰痛もひどくなったので、一週間の九州旅行に出発。
私には旅が一番のヒーリングなのです。
博多には、森羅塾にいらしたばかりの松山先生の奥様が出迎えて下さり、彼女の運転で大分へ。
富裕な在日韓国人家庭のお嬢様だったまり子夫人は、一時はカソリックの修道女だったかと思えば、アメリカでヒッピーと暮したり、後に日本に訪ねて来たヒッピー仲間の麻薬事件に巻き込まれて逮捕されたり、夢の中の神のお告げに賭けた無謀な温泉掘削が成功したりと、凄い話がいっぱいで、ともかくタダモノではない豪快な女性です。
病院では早速その温泉に浸ってゆっくり温まったり、彼女が自ら泥にまみれて指揮を取る有機無農薬の「べんてん農場」を見学して人参を掘ったり、芽キャベツを摘んだりしていると、猛々しく雪崩れこんでくる大地のエネルギーに心身がみるみる癒されていくのがわかります。
その日は湯布院にあるまり子さんの別荘に泊めて頂き、翌日は彼女が応援しているSGEという不思議なパワーストーンを採掘加工しているオンリーという会社の若社長・鳥井雪舟氏の案内で、大分と宮崎の境界にある鉱山と工場を訪ねました。
こういう石の話はあちこちにあり、うさんくさい商売も多いので、私はいつも眉にツバをつける主義ですが、この鳥井さんは山師っぽいところが全く無くて、控えめに過ぎるくらい慎重で真摯な話しぶりに好感をもてたし、ここの石や湧き水には、かなり鈍感な私にも、「これは何かあるぞ」と思わせるエネルギーが感じられるのです。
ミネラル・ウォーターとか化粧水とか、お風呂に入れる石とか、畑の土作りに使う石の粉とか、いろいろ送ってもらって、我が家でじっくり実験してみましょう。

大分まで行って中津の「筑紫亭」を素通りすることはできません。
ここは間違いなく日本一の鱧を一年中味わえる貴重な料亭で、長い歴史を刻んだ建物の風雅なたたずまいや、美人女将の凛々しい着物姿と立ち居振る舞いもあいまって、これが文化というものだと、いつも改めて感動します。
この女将の土生かおるさんとは二十年来の親友で、御主人を亡くしてから女の細腕で格式ある看板を守り続ける彼女の大奮闘を陰ながら応援して来ましたが、見事に成長した一男二女のお子さんたちが一致団結して母を援ける働きぶりにも目を見張ります。
オーナー・シェフとしていずれは店を継ぐべくかなりの力量と貫禄も身につけたご長男が早く良い伴侶を得て、母上が重荷を下ろし、もっと自由に私と遊び歩ける日が来るのを待っています。

私が中津に立ち寄ると電話するなり、女将はぜひ森羅塾の中津版をと張り切って、たった数日で四十数人を集めてしまいました。
筑紫亭の二階の大広間で開かれたその会は、名物の鱧しゃぶを中心にした懐石料理を楽しみながら私の話を聞くという、森羅塾ではとても真似のできない贅沢な講座ですが、たまにはこういうのもいいですね。
森羅塾も、簡素版から贅沢版まで、いろいろな選択ができるようにしたらいいのかもしれないと思いました。

中津からは博多経由で鹿児島に向うことにして、最近唐津から博多に診療所を移した叢学光さんを訪ねました。
彼の奥さんが腕を振るう唐津の中国家常菜の店は、こんな店が近所にあったら毎日でも通いたいくらい美味しいのですが、そこの名物の水餃子だけは冷凍宅配ができるようになり、我が家の常備品としてとても重宝しています。
毒入りは怖いけれど餃子はやめられないという方はぜひお試しを。
正真正銘の手造りで、本物の大連の味です。

また、叢さんの鍼灸もお勧めです。
腕の冴えは勿論のこと、優しく明るい人柄にも癒されますよ。
私のしつこい腰痛もここでやつとお払い箱にして、るんるんと足取りも軽く、次の鹿児島目指して汽車に乗ることが出来ました。

鹿児島駅ではホロトロピック・ネットワークの渡辺満知子さんが迎えてくれて、城山観光ホテルにチエックイン。
夜は熱血ドクターの堂園先生が現代の梁山泊を目差して石造りの倉庫を借り格好良く改装したクラブ「」で宴会です。
指宿で開かれる座禅断食会を指導するために長野から到着したばかりの野口法蔵夫妻も合流し、いつもの仲間が多くて気楽なのはいいけれど、外国まで行って日本人だけでつるんでいる連中みたいな感じもしないではありません。

翌日は断食会に行く満知子さんの車に便乗して指宿で昨年開業した自然健康リトリート、メディポリスへ。
でも私はせっかく鹿児島まで来て断食などしたくないので、メディポリスでは普通の客として御馳走を食べながら、断食は高みの見物です。
このメディポリスは007の映画に出てくる世界的大悪漢の砦みたいに壮大で厳重な関所まであります。
中に入ると奇妙な鳥居や、光と音が乱舞する瞑想ルームがあったりしてなんだか宗教団体の研修会館に紛れ込んだ気分ですが、部屋は景色も設備も申し分ないデラックス・スイートだし、温泉やスパ設備の豪華さも半端ではありません。
ここはもともとは緑ナントカの類で華々しく建設された国民の保養施設が、ご他聞にもれずたちまち破綻して、ただみたい値段で身売りしたという、聞くも腹立たしい税金の無駄遣いの見本です。
余計な開発で自然を破壊しこういう馬鹿らしい箱物を作りまくった役人に、われわれ納税者は損害賠償を要求することはできないのでしょうか。

なんて怒り狂っていては心身のクレンジングどころではないので、懸命にそれを忘れて素直に楽しもうと思ったけれど、やはりあまりに巨大で空疎なこの施設の異様さに慣れることはできませんでした。

鹿児島最後の日は恐れ多くもいつもアッシーをつとめてくださる建築コンサルタントの宇都祐二さんが朝早く指宿まで迎えに来て下さって、美しく晴れ上がった桜島を気持よくドライブしてから日曜に帰京しました。

でも家にいたのは三日だけで、木曜日には再び西に向かいます。
福岡の叢さんが、どうしても紹介したい気功の達人がいて、たまたまその日には出張治療で彼と一緒に京都に行くので、洋子さんもぜひ京都に来てその気功を体験しなさいと強く誘われたのです。
ジョウダンじゃない、鹿児島で遊びほうけてほったらかした原稿がぎりぎりだし、このド忙しいときに京都どころの騒ぎじゃないんだよと断って机にしがみついていたものの、やはりしつこく気になって幾度もそわそわ腰を浮かしかけていた私は、午後三時遂に決然と立ち上がり「やはり行くのだ、行くべきだ、私は今日京都に行く運命なのだ」と心で叫んでのぞみに飛乗りました。
まるで強力な磁石に否応なく吸い寄せられた釘のような異常行動です。

この後の話は長くなるので、今日はここまでにして、近く続きを書きます。
なかなか面白い展開になりますよ。

 

☆オンリー株式会社
住所 別府市内竈 330
TEL  0120-148-987

☆筑紫亭
住所 大分県中津市枝町 1692
TEL  0979-22-3441
FAX 0979-22-5108

☆叢中医鍼灸院
住所 福岡市博多区比恵町 1-18 東カン福岡第二ビル 102-2
TEL  092-433-3098
FAX  092-433-3099

☆大連水餃子
住所 唐津市紺屋 1691-5
TEL  0955-75-4932
FAX 092-433-3099

二月七日

宴、宴の一ヵ月でした。
森羅塾のお披露目だけでも、1月6日にブランチ・パーティー22人、
12日にイングリッシュ・ハイティー・パーティー26人と、
ベジタリアン・ディナー・パーティー14人、
18日にオープニング・ディナー・パーティー25人、
2月3日に節分ランチ・パーティー30人とナイトサイエンス・パーティー23人。

その他にも何回か友人を招いて食事会をしたし、
一ヶ月にのべ150人以上をもてなしたことになります。
ウチはレストランじゃないだろうがと呆れながらも、客を招いたからには美味しいものを作って満足させなければ気が済まなかった母のホスピタリティー遺伝子には抗いがたいのです。
幸いいつも美味しいと大好評で嬉しいけれど、いつまでこんなことやっていたら仕事にならないから、あと数回の予定をこなした後は、大勢にちゃんと食事を出すパーティーは月に一回ぐらいにとどめようと思います。
なにしろお手伝いさんなど雇える身分ではないし、一応は秘書の泉さんも、パソコンでの連絡事務などでは頼りになっても、実はファイナンシャル・プランナーという仕事があって著作や講義に忙しい人だから、うちに現れるのは週に一回程度で、家事まで当てにはできません。
幸い、バンクーバーの林住塾に二年連続参加されてすっかり親しくなった都庁勤務の石井さんが、毎週末ボランティアに来て下さるのでなんとかなっているというのが森羅塾の現状なのです。

でもヒトが思うほど大変でもありません。
暢気というか自然体というのか、何十人だろうと特に身構えず、前日になってから「明日のお昼だったよね、二十人かぁ、使える材料は何かあるかしら」と冷蔵庫を覗いてからチンタラ買い物に出かけ、トロトロ夜なべで出来る下拵えだけはしておくという程度で、しっかりエンジンがかかるのは朝起きてからです。

オープニングの夜に祝し、大倉正之助さんの太鼓演奏
オープニングパーティー・大倉正之助さんの大鼓演奏
祝福の祈りの音に全員の魂に深く烈々と打ち込んで下さった

細川護熙元首相に揮毫をお願いしてあった「森羅塾」の書
細川護熙元首相に揮毫をお願いしてあった「森羅塾」の書が
パーティーの最中に、身代りのように到着した。

オープニングパーティーで料理の説明をする私
オープニングパーティーで料理の説明をする私
中央に稲葉賀恵さんの姿も見える。

でも2月3日の朝起きたときにはギョッとしました。
なんと外が真っ白で、なおもしんしんと雪が降り続いているじゃないですか。
予報されていた雪だそうですが、私は二十年このかた新聞を取っていないし、この家にはまだテレビ工事が来ていないので、かなり世情にはうといのですよ。朝昼合計五十人の客を予定していたし私は原稿の締め切りであまり余裕がないので、この日に限って井沢さんというプロの応援を頼み、前夜から泊まりこんだ彼女がすでにほとんどの仕込みをおえています。
「うわあ、この雪じゃ、誰も来ないんじゃないかしら。作っちゃったご飯どうしよう」と久しぶりに狼狽しました。
ところが、客は時間通り着々と到着し、三十人見事に勢ぞろい。感激しました。
しかもこの日の客は、たちまち馴染んであちこちで話が弾み、私が話などする必要もないくらい勝手に楽しんでくださる方ばかり。これこそ森羅塾のあるべき姿です。

このパーティーには珍しく歌舞音曲も加わりました。
沖縄でベリー・ダンサーとして活躍している荒木悦子さんが、女たちをもっと美しく元気にしようという運動の一環として9月に企画したイベントで私に講演をしてくれと頼みにいらしたので、「喜んで協力するから、貴方も私のパーティーで踊って頂戴よ」とお願いして、華やかなベリー・ダンスを披露して頂いたのです。
外国の酒場で見たことのあるベリー・ダンスの妖しい雰囲気とはすこし感じが違い、南国の太陽の輝きを思わせる明るい魅力に溢れ、これが今健康法として注目され、子作りにも効果的と言われていることに納得がいきました。

関心のある方が有る程度集れば、森羅塾でもときどき彼女を招いてベリー・ダンスのワークシヨップを開いてもいいと思います。
とりあえず9月に沖縄で開かれるそのイベントに関心のある方、一緒にいらっしゃいませんか。私の講演や彼女のベリー・ダンスの他にもいろいろ面白いことがあるらしいし、沖縄観光も魅力的です。
近くツアーのプランを発表しますので、気が向いたらご参加ください。
このように国内国外のいろんな旅を一緒にするのも森羅塾の活動の一環にしていくつもりです。

荒木悦子さんのベリーダンスの様子
荒木悦子さんのベリーダンスの様子
パーティ料理

中国産餃子のミステリーは、餃子大好き人間として、とても気になりますが、マスコミのあまりにヒステリックな騒ぎ方も気になります。
なにしろ食糧自給率四割という有様で輸入食糧に頼るしかない日本なのですから、中国と喧嘩別れはできないのです。
それにそもそも中国の過剰な農薬使用は、日本の商社の虫喰い穴一つも許さない厳しい注文や指導から始まったようですよ。
それに安くて便利なレディーメイド食品に依存し過ぎる消費者も、中国を罵るだけでなく、自分の安易な食生活を反省してしかるべきでしょう。

アメリカの大統領選挙は今年最も興味ある大イベントです。
私は勿論民主党贔屓ですが、ヒラリーもオバマもどちらも好きだから有権者だったら迷いそう。でもオバマは次の次でもいいくらい若いんだから、今回はヒラリーに当選してほしいなあ。共和党の候補になりそうなマケインも悪くないから、民主党はもういい加減に決着つけて挙党一致態勢を固めないと、共和党が漁夫の利を得かねないし。
それにしてもアメリカの大統領になる道のりって大変なものだとつくづく思うけど、これだけの難関を、どうしてブッシュ程度の人間が通過できたのか、今も不思議でなりません。

一月十一日

新年も新居も今のところ文句なく快調です。
大晦日はこのホームページの呼びかけで参加した「正月難民」たちと私の難民仲間で年越しスパゲッティー・パーティー。我が家の定番オードブルのグァカモレとタラモサラタで始まり、パスタは赤緑白の三色勢揃いでポモドーロ、ジェノベーゼ、牡蠣のホワイトソース。ワインでだいぶ心身が温まった頃、ヒーラーの篠塚澄子さんが美しい声で歌いながら巡回し一人一人に「気」を通してくれる「クリアゼーション」。そしていよいよカウントダウンでシャンパンを抜き、めでたく新年となりました。

「正月難民」の年越しパーティー
「正月難民」の年越しパーティー

それからぞろぞろ外に出て、ご近所の八幡神社に初詣。澄み切った冬空に月も星も冴え冴えと輝き、境内に焚かれた篝火で古さびた拝殿や神木が照らし出され、その神々しさ美しさにぞくぞくしました。寒さもぞくぞくと身に沁みはじめたところへ、熱い甘酒を振舞われてホッとします。拝礼のときは神主さんが頭上でバサバサお祓いしてくださるし、それが終わるとお神酒も頂ける。なんとご親切なおもてなし。何十万人も押しかける明治神宮や川崎大師ではこうもいかないものね。有名な大神社より隣組の小神社の方が神様の気配も濃やかです。マスコミからミニコミにシフトしようという森羅塾に、まさにびったの守り神だから、これからはまめにお参りしましょう。

八幡神社で初詣
八幡神社で初詣

元旦は静かに机に向かって年賀兼引越し通知の宛名書きに励んでいたところ、夜更けてからビッグ・サプライズ。昨夏バンクーバーでダライタラマの愛弟子であるリンポチェと出会い、なぜかたちどころに親しくなったことはその頃のホームページに書きましたが、そのリンポチェが我家に現れたのです。クリスマス頃に来日という噂は聞きながら、連絡しようがなかったけれど、あちらも探しているという情報がバンクーバー経由で巡り巡って遂に届いたのが元旦の夜遅くで、明日の朝早く東京を発つというのです。あらあら残念と諦めかけながら、ふと「よかったらこれからでもウチにお茶でも飲みにいらっしゃいませんか。私はいくら遅くても気になりませんけど」とダメモトでお誘いしたら、なんとはるばる江戸川区から車飛ばしてご来訪。リンポチェが運転したわけじゃないですよ。今回リンポチェを招いた福田さんの車です。彼女は、ティー・リーフ・リーディングという占いに優れた、なにか不思議な貫禄のある方です。
リンポチェは和室のコタツに寛いで、昨年八月チベットに堂々と入国を果たし、前世での彼の僧院を訪れたこと、町中の人がおいおい泣いて迎えてくれたことなどを淡々と語ってくれました。それから新居の祝福をお願いしたら、広間の食卓に持参の仏像や仏具を並べ、魂の底まで響く深い声でさまざまな祈りを捧げ、聖水と孔雀の羽で一人一人を祝福する儀式の後、家中を巡り歩いてキッチンやバスルームまで、同じように祝福して下さいました。そやこうするうちに、ふと気が付いたら午前三時。夢のように現実離れした時間でしたが、こんなに縁起のいい初夢は滅多にないですね。

元旦深夜、ダライラマの高弟リンポチェが来訪
元旦深夜、ダライラマの高弟リンポチェが来訪

こたつでおしゃべり 右端が福田さん
こたつでおしゃべり 右端が福田さん

これから祝福の儀式が始まります
これから祝福の儀式が始まります

三日はかれん一家とノエル母子がやって来てファミリー・デー。でも私はグランマとしては落第で、孫との付き合い方がわかず、いつも皆からシカトされてます。
四日は横浜で叔母と合流して葉山の上田別荘へ。見事に晴れて波静かにきらめき、富士山もくっきり見え、わが故郷葉山の面目躍如です。近くに住む兄夫婦と、その次女夫婦も来訪して、久しぶりの一族再会。いかにも日本のお正月という感じで、これも悪くありません。

かれんの一家がお年賀に たまには祖母の顔になります
かれんの一家がお年賀に たまには祖母の顔になります

六日は森羅塾のお披露目パーティー兼説明会の第一回。ブランチ・パーティーといえば、朝ごはんに毛が生えた程度のものなのに、時間を十一時から十四時までと書いたつもりの告知が、どこで間違ったのかホームページでは一時から四時までになってるじゃないですか。あらら、これではブランチじゃなくてランチですよと慌てて変更した献立は、オードブル二種とコシャリというエジプト風ご飯、スパイラル・パスタのバジル・ソース、五色サラダ。鍋や食器がまだちゃんと揃っていないのでドタバタしたけど、成せば成るで、まあまあうまくいきました。
参加者は二十三人。なにしろ自宅兼用の塾だからヘンな人が来たらどうしようと心配だったけど、とても感じのいい方ばかりだったのでホッとしています。こちらの感じはどうだったのかしら。私は本音ぶっちゃけ自然体人間だから、まあ気は張らなかったと思います。ともかく皆さんご機嫌麗しくお帰りになったみたいです。この中で何人が塾生になってくださるのかな。
次は明日十二日の一時から四時までイングリッシュ・ハイティー・パーティー。これが一番参加希望者が多く、定員オーバー後もついつい断りかねて、あと一人ついでにもう一人と受け付けていたら、二十六人になっちゃった。ウチ中のティー・カップをかき集めても二十足らずしかないのにどうしよう。それに実はスコーンなんて一度も焼いたことがないし、紅茶の教養もないのです。
それにもまして無謀だったのは、ハイティーが終わるのが四時なのに、二時間後の六時からベジタリアン・ディナー・パーティーを設定してしまったことで、魔法でも使わなければ、料理が間に合う筈ないでしょう。そもそもこんな原稿書いてる場合じゃないですね。ただ、パティー参加申し込みが続いているので、今回は締め切ったけど二月にも追加のパーティーを開くことを至急ホームページでお知らせするよう、秘書の泉にキツク命じられているのです。追加の日程は森羅塾の項をご覧下さい。さあ、私はこれから材料の買出しに走らなければなりません。

十二月十四日
十二月三日に無事引っ越しを住ませて以来、荷解き、収納、買出し、掃除などでもうヒッチャカメッチャカな日々でした。ようやく一段落したので、これからいよいよ懸案のオトナの寺子屋「森羅塾」の開校準備にとりかかります。差し当たって何回か、中目黒の私の自宅兼用の森羅塾でお披露目パーティーを開いて、どんな講座を企画しているかご説明したいと思います。ご興味がおありの方は十二月と一月のスケジュールの中からご都合のいい日を選んでパーティーにご参加の上、直接その「場」の雰囲気に触れ、私やスタッフとも話しをして、自分と相性がいいかどうか、じっくりご判断下さい。講座とは関係なくパーティーだけを目的にいらしても構いません。一応塾とはいっても別にエラそうな学問所ではなく、よい出会い、意味ある会話、愉しい遊び方をこそ、何より大事にしようというサロンなのですから。 今後はこのホームページに「森羅塾」という項目を設けて、お披露目パーティーや講座の日程、会費、申し込み先などを遂次お知らせします。ときどき覗いて見て下さい。

※正月難民パーティーのお誘い
十二月三十一日の大晦日には我が家で年越しパーティーをすることになりました。なぜそうなったかというと、「プレシャス」という雑誌に連載している「聡明な女たちへ」というエッセイの一月号「濃密に華やかに人生の節目の過し方」の中で、つい筆が滑ったのですよ。 その部分をかいつまんでここに転載します。
( 前略 )
優雅に自由を謳歌する独身キャリア。ウーマンにも鬼門があって、正月はその最たるものだ。日頃はつきあいのいい男友達も正月ともなれば妻子のもとに戻る。取り残された女は帰京すれば「売れ残り」を嘆く親の愚痴が鬱陶しいし、アパートで独りぼっちで年を越すのも惨めったらしい。それで海外に逃れる独り者を私は「正月難民」と呼んでいた。私も正月難民だった時期があるから、その気持はよくわかる。

( 中略 )
十分に子孫は増殖したが、孫たちに囲まれて暮すなんて私には似合わない。同じように自由なオトナたちと一緒にいるのが一番好きだ。二〇〇八年の元旦もそんな仲間たちとワイワイ賑やかに迎えたい。大晦日には年越しスパゲッティーを食べてシャンパンで乾杯しよう。仲間になりたい人、この指とまれ。詳しくは私のホームページで。

と、書いてしまったからには、ちゃんと大晦日には中目黒の新居で美味しいスパゲッティーを作り、シャンペンをきりりと冷やしてお待ちしています。 正月難民の方々、よかったらご参加下さい。十二月三十一日夜の九時以降、そして年が明けて一時頃まで四時間のパーティーです。 会費は二万円にします。でも、シャンペンは高いからあまりジャブジャブ飲まないで下さいね。少しはお金を残して、飢えや戦火に苦しむ本物の難民に贈りたいのです。 希望者は氏名、年齢、職業、それからできたら簡単な自己紹介も添えて、下記にお申し込み下さい。そう大勢収容できる家ではないので、先着順で、もしも多過ぎたらお断わりすることもあるかもしれません。

参加ご希望の方は氏名、年齢、職業、連絡先を明記の上、メールにて
kiri@taskjapan.jpまでお申し込み下さい。
十一月十八日

またまた長いご無沙汰です。ごめんなさい。つくづく私の筆不精に愛想が尽きたと言ったら、親切な友達が「あなたは筆無精じゃなくて、しっかりキチンと書きすぎるから億劫になるのよ。ホームページなんてもっとスッチャカメッチャカでいいんだからさ、文章にこだわったりしないで、普段友達と気楽にくっちゃべるときみたいな調子で、シャラシャラ書き流せばいいのよ」とアドバイスしてくれました。はいはい、そうします。今回から頭を切り替えてコペルニクス的大転回・・・てのも大袈裟か、ともかくばっさりタガを外して、文体にも時系列にもこだわらないダイアリーを随時垂れ流していきますね。

それで今日は11月18日の日曜日。福井にいます。ここは親友で「みち子がお届けする若狭の浜焼き鯖寿司」が大ブレークしている矢部みち子さんの地元で、今回はフード・フェアがあるから食べに来てよというお呼び出し。昨夜はその前夜祭というか、福井市から車で二十分くらいの丸岡の大宮亭という、鄙には稀なといっては失礼だけど、お店のデザインがスキッと爽やかモダンな蕎麦屋さんで新蕎麦の饗宴。冷たい水に浸しただけの蕎麦とか、塩と山葵をちょっとあしらうだけの蕎麦とか、蕎麦ってそれ自体にこんなに深い味わいがあるのかと感動しました。そしてこの土地の名物はおろし蕎麦。ヨソでは大根おろしがトッピング程度だけど、福井のおろし蕎麦は大根と蕎麦が互角に相擁した結婚状態で、これは絶対安泰の理想的良縁です。もう一つ私のお気に入りは蕎麦掻き。自分で蕎麦を打つ自信はないけれど、蕎麦掻きならなんとかなるかもと,作り方を教えていただきました。そういえば数日前は宮崎の「神楽」という料亭の料理がとても魅力的だったので女将から幾つかのレシピを聞きかじったけれど、果たして実行できるのかどうか。それにしても、このところ妙に料理欲が湧くのは自分の台所がないという欲求不満の表れじゃないかしら。 

福井の前は京都の摩那ハウスで撮影用のドレス選び、その前は宮崎で講演、その前は横浜の勝見亭でヴァンクーヴァーから来日中の種村夫妻と指揮者のケンさん、クルーズで仲良くなった京胡奏者で新京劇の女役でもあるウー・ルーチン夫妻など十人ほどが集り長夜の宴、さらにその前は仙台で仕事をしたついでに蔵王の峨々温泉、一関、中尊寺など東北で湯治と紅葉狩り。といえば優雅に聞えるかもしれないけれど、今の私は流浪の家無き子なのですよ。5月末に、それまで住んでいた南麻布のアパートを引き払い、家財を倉庫に預けてヴァンクーヴァーの林住庵へ。そして夏の間に見つけるつもりだった次の住まいがなかなか見つからないまま、転々と居候し たり旅をしたりし続けているわけです。まあもともと遊牧民だからスーツケース一つの身軽な暮らしは嫌いじゃないけれど、秋冬の服も仕事の資料も倉庫の中だし、ここまでホームレスが長引くと流石に秋風が身に沁みますね。

なんでそんなに住まいが見つからないかというと、それがただ住むだけじゃなくて、かねがね開校を広言してる「オトナの寺子屋」と兼用だからむずかしいわけ。いくらミニ私塾でも20人くらいは集まるとなれば、かなり広い客間と、料理の講習もできるくらいのダイニング・キッチンが要るし、トイレも公私別に複数ほしい。私の部屋も寝室兼書斎として十分なスペースとプライバシーがほしい。あまり不便な場所では困る。となると、これはつまり外人が求める貸家の条件と同じだから時節柄競合が激しい。やっといい物件が見つかったと思うと、外資の会社にサッとサラわれて、幾度口惜し涙にくれたことか。そりゃ、貧乏物書き風情より、ハゲタカ外資のほうが金払いに不安がなくていいだろうけど、まるで敗戦国に逆戻りしたみたいで情けないじゃないですか。不動産で食べてるような人種って志が低いのかしら。

とブーブー嘆いていたら、遂に頃合の家が見つかったのですよ。スワッとばかり申し込んだのはこの旅に出る直前だけど、また横取りされてヌカ喜びするのは嫌だから意識から外すようにしていたら、今しがたちゃんと決って契約に漕ぎつけたと東京から連絡がありました。ああ、よかった、これで我が家で年が越せます。場所は東横線と地下鉄日比谷線の中目黒駅から歩いて七分、息子ローリーの家からも同じくらいの好都合なロケーションで、しかもゆとりの一軒家。12月初頭には入居して荷物の整理と寺子屋の準備。さあ、忙しくなりますぞ。嬉しい武者震い。まあ夏からさんざん遊び歩いてたから、十分元気です。

寺子屋の名前は「森羅塾」と決っています。森羅万象の森羅だから欲張った名前でしょ。森羅塾については、このホームページに別欄を設けて計画や状況を随時お知らせします。関心がおありの方はときどき覗いて見てください。

  ここまで書いたところで睡魔に負けてしまい、明けまして今日は19日。

今回福井に来た目的である行事へのおよばれで、丸岡町の東二つ屋地区へ。みち子さんからフードフェアとか聞いて、デパートの催事などでよくある地方名産見本市みたいなものかと思って実はあまり気が進まず、このド忙しいときに、そんなことまでつきあってられないよと渋々福井に赴いたのだけど、これは全然チガウ凄く面白く得難い体験でした。その東二つ屋というのはもう二十四戸しかない約百人の集落。本来結束が固く、暖かい相互扶助や、伝統的しきたりを大切にする土地柄だったけれど、過疎化の潮流には勝てず、このままでは先祖代々ひきついで来た濃密な生活文化も先細りするばかりだと危機感を抱いた有志たちが、村人挙って手造りの郷土料理を楽しむ宴を召集したのです。これは壮観でした。民家風の「ふれあい会館」の玄関に溢れ返る履物をまたいで「お邪魔しまーす」と闖入したヨソモノは、なにかとっても懐かしい感じのイノセントな笑顔の大群に迎えられます。じいちゃん、ばあちゃんは座敷で寛ぎ、子供たちは遊びまわり、男たちは外のテントで豪快に焼いたり煮たり、女たちは台所で蕎麦を打ったり漬物を刻んだり、つまりこれが古き佳き村落共同体の活きた縮図なのですね。そして次々運ばれて来る料理がやたらと美味しいのです。洗練された味といえば都会のものだと思われがちだけど、田舎料理もまたそれなりに洗練されるのですよ。その献立は、鱒の葉っぱ寿し、ぜんまいと薄揚げ煮もの、とんぶりの味噌和え、大根葉の胡麻和え、里芋の田楽、豆の粉のおつゆ、近くの川で釣った鮎の塩焼きと田楽、手打ちおろし蕎麦、ぞろ、おは漬け、ぼたもち。「ぞろ」というのは、おじや、「おは漬け」は白菜や人参の浅漬けのことでした。皆様ありがとう、本当に御馳走様でした。


福井県丸岡町東二つ屋のふれあい会館で  
郷土料理に舌鼓をうって機嫌のシニアたち  


お嫁さんたちは蕎麦打ちに大奮闘

オーガニック、新鮮、手造りという理想の健康食で、明らかに身体が喜んでいます。元気になったところで、長いご無沙汰の間にどんなことがあったか、思い出せるだけ書き留めておきましょう。次回からはこんなに溜めないでちょくちょくと短く書いて更新回数を増やします。

前回のホームページは8月に急死したKさんの追悼パーティーで終わってましたよね。そう、あれは哀しい事件で随分落ち込みました。でも彼の死を発見するのは、私に与えられた役割だったのでしょう。よりにもよってあの猛暑の最中に帰国したのは彼に呼ばれたのだとしか思えないのです。後始末に活躍してくれた頼もしい甥御さんも、「今頃は仕事でインドに行っていたはずなのにたまたま日本にいたのは伯父に呼ばれたのだと思う」と言っておられたし。Kさんは宗教嫌いで霊魂やあの世の存在なんて絶対信じない人だったけど、きっと「あれあれ、死んでお終りじゃなかったんだ」と頭を掻いているんじゃないかしら。「ハハ、今頃わかったか」と笑ってあげましょう。

その後またヴァンクーヴァーに行って千客万来の忙しい夏を過したのでした。高松在住の親友でフラワーデザイナーの竹田豊靖さんも始めて来加。さすが植物の専門家で一緒に森や公園を散歩すると通りすがりの花や草木の名を片っ端から教えてくださるのでとてもいい勉強になりました。それにそのとき摘んだ花や拾い上げた枯れ枝を見事にアレンジして、我が家を見違えるほど美しく飾ってくださった竹田さんのセンスに改めて感心し、彼女に東京でクリスマス・リース作りの講習会を開いて頂こうと思いつきました。私のトークとのコラボレーションで、12月8日、1時と3時の二回どちらでも。場所は麻布十番の讃岐会館です。ここは殿様系のお屋敷あとだから美しい日本庭園や風雅な和建築も残り、都心離れした雰囲気で、讃岐料理がおいしくて安いという最近おすすめの穴場なのですよ。詳細の問い合わせと申し込みは竹田豊靖アトリエ(TEL 087-823-2906FAX087-823-5363へ。材料費込みで会費五千円は絶対お買い得。竹田さんも私もボランティアですからね。講習会のあと希望者だけで講師を囲む割り勘の夕食会もあります。


ヴァンクーヴァー恒例のチャイニーズディナー
(私から右回りで林住庵の新しい家守り、エリコ・ロウさんとアラン・ロウさん夫妻、地下の改築をご相談中の三河さん、チャーリー赤崎さんと邦子さん夫妻、林住庵に滞在中のベトナム駐在ビジネス・コーディネーター石井良佳さん、高松のフラワーデザイナー竹田豊靖さん、秘書の泉さん、そしていつも頼りにしているヴァンクーヴァーの熟女三人、指圧の名手、野本さん、ピアニストの大竹加代さん、写真家の今泉慶子さん、そして元日航支店長のミスター今泉さん)

ヴァンクーヴァーには当分行けそうもないので、エリコ・ロウさんという気鋭のライターとグラフィック・デザイナーのアラン・ロウさんのカップルが留守宅の家守りをして下さることになりました。エリコさんはインディアンやスピリチュアリズムなどに関する優れた著作があり、またNHKをはじめ日本のメディアのアメリカ取材コーディネーターとしても活躍されていたのですが、ブッシュのアメリカに嫌気がさしてカナダ移住を申請し、まずは東部から西に移動してシアトルで様子を見ておられました。しかしもう実際にカナダで暮さないと移住申請が無効になってしまうので、取り敢えずヴァンクーヴァーに住んでカナダ生活のトライアルをしようといことになったのです。とても誠実な方々なので安心して家をお任せし、しばらくは森羅塾の立ち上げに専念します。

ロウ夫妻に見送られて9月下旬に帰国し、10月には昨年の屋久島クルーズで大好きになった「にっぽん丸」で10日間の中国クルーズ。講演という仕事つきとはいえホームレスには絶好のバケーションです。横浜から乗船し、神戸、瀬戸内海から関門海峡を通って大連へ。五十年前、敗戦直前に大連から船に乗って日本に引き揚げたときの海路を逆に辿っているのだと思って感無量。あのときは、すでにアメリカに制空権を握られ、朝鮮の島陰を縫って夜間だけそろそろと進む命がけの航海で、暗黒の船内に身をひそめ、ずっと救命具をつけたままだった。二度と再び海外に出られるなんて、ましてやこんな贅沢な船旅ができるなんて、夢にも思わなかったもの。

大連で覚えていたのは「大和ホテル」だけ。評判どおり中国の経済的繁栄は物凄く、ぴかぴかの高層ビルや高額商品など私には興味のないものばかり。唯一嬉しかったのはマッサージで、これはまだ日本よりずっと安かったけど、それだけ安い労働力があるということだと思うと、繁栄に取り残された人々が痛ましい。

はじめての青島は美しい海岸線が南仏のコートダジュールみたい。公園で花婿花嫁が記念写真のポーズをとっているのをほほえましく眺めていたら、それが一組や二組なんてものじゃなく、まるで孫悟空がプッと毛を吹いたみたいに増殖して公園中が新郎新婦という不気味な光景なのですよ。一体これはなんじゃらほいと案内の人に訊いたら、中国人は結婚の前に公園で写真を撮る習慣があり、その一番人気が青島の公園で、各地から続々と集って来るんですって。「衣装もここで借りて木陰やトイレで着替えるんですよ。でも靴はたいてい自前です」と言われて花嫁たちの足元を見たら、純白のウェディングドレスとは似ても似つかない泥だらけのドタ靴ばかり。田舎の労働者や農民の一世一代の晴れ姿なんだろうなあ、青島は彼らの憧れのパラダイスなんだと、何かホロリときましたね。


にっぽん丸 パーティーはフォーマルで


楽隊に迎えられて大連上陸 
ウールーチン夫妻と

帰りは鹿児島、宮崎、高知、和歌山の沖を回って神戸、そして横浜へ帰着。スーツケースはそのまま奈良へ送り、私も翌日関西へ。たまたま京都で上海国民学校終戦時在校生の同窓会があるので飛び込みで参加してから、奈良の友人、六本順子さんのお邸へ。この数年来、奈良にしきりと心ひかれて訪れる度に泊めて頂くのが、新薬師寺の隣組で春日大社のお膝元でもあるという最高のロケーションにある六本邸なのです。私の寺子屋構想を聞いた六本さんが「是非奈良でも分校を開いてくださいよ。うちを自由にお使い頂いていいですから」と言って下さったので「はい、喜んで出前をさせて頂きます」と答えたのはいつだったか。以来どんどん日ばかり過ぎて、東京の寺子屋はまだ場所も決らないうちに分校の方で約束の日が来てしまいました。


私の船室で机に向かう


神戸港に帰航したところ

第1日は10月22日、六本邸の一角にある「ろくサロン」という喫茶室で、私が作った簡単なオードブル、ギリシャのタラモサラダとメキシコのグァカモーレを試食していただきながら「パーティーの勧め」、第2日は23日、大和郡山のフレンチ・レストラン「弁慶」で素晴らしいフランス料理のフルコースを堪能してから「骨董物語」、その翌日は十津川温泉で休養、そして25日は岡山に行き法人会の講演をしてから、26日高松のフラワーデザイナー竹田豊靖さんとヴァンクーヴァーから帰国中の許澄子さんを伴って奈良に舞い戻り、正岡子規ゆかりの庭園がある料亭「天平倶楽部」で子規の作品を美しいソプラノで歌う異色のリサイタルと懐石の宴を楽しんでから庭園で東大寺の鐘を聴き、27日は開催初日の正倉院御物展を長蛇の列にも怯まず拝観して昔は凄いと畏れ入ってから、東大寺の大仏殿や三月堂を塔頭清涼院ご住職、森本公穣師の最高の解説つきでご案内頂いて、またまた昔は凄いと打ちのめされ、さらに軽く茶粥で済まそうと入った「塔の茶屋」で茶粥と呼ぶには御馳走過ぎる昼食に驚嘆し、秋の京都を完璧に堪能。そして午後の寺子屋第3日は、六本邸のお座敷で「スピリチュアリズムについて」。翌28日の第4日は、この夏ヴァンクーヴァーにもいらした大阪市立大学病院の井上正康教授が応援に駆けつけ下さって2人で「健康で美しいポジティヴ・エイジング」。これですべての予定を無事終了して、その夜はにぎやかに打ち上げパーティー。流石にドッと疲れたけれど、本番の前にとてもいいシミュレーションができました。六本一家の献身的なサポートとホスピタリティーに心からの感謝を捧げます。


奈良の六本邸で 
 

森羅塾の出前版 寺子屋風景

八月二十日

あまりの暑さに頭もとろけて原稿なんて書く気もしないまま、ホームページもほったらかしだったが、夏が終わる前に一度くらいは更新しなければとパソコンを開く。でもやはり頭が動き出さないので、この際不精してなるべく有り物を使おうと思いつく。  
まず七月六日、私の七十歳の誕生日に行われたビッグ・サプライズ・パーティーについて書きたいことが沢山あるのだが、今は取り敢えず、その出席者に送った礼状をここに再使用させて頂く。

あまりの感動に言葉を失ったまま、御礼が大変遅くなりましたが、先日は私の古稀を盛大にお祝い頂き本当に有難うございました。
「七月六日は空けておいて下さいね」という大竹さんからのお達しに、きっとサプライズのバースデー・パーティーが企まれているのだろうなとまでは想像しておりましたが、まさかあんなに大勢の方がお集まり下さるとは夢にも思わなかったので、キャピラノ・ゴルフ・クラブに歩みこんで皆様にワッとお迎え頂いたときは本当に仰天し、古稀の貫禄もあらばこそ、今どきの女の子のようにウッソー、マジーッ?と叫んでしまいました。
そもそも自分がもう七十歳なのだということさえ俄かには信じ難かった私にとって、あれは二重の大衝撃でしたが、あまりに見事で華やかなサプライズのお陰で、その衝撃が完全にポジティヴなものとなり、心身の隅々にまで暖かい光が溢れ返るような幸福感に包まれたまま、喜び勇んで七十代の第一歩を踏み出すことができました。

どこで野垂れ死にしたっておかしくはないほど我侭勝手に無謀無頼な生き方をしてきた私なのに、仕事にも友達にも子孫にも健康にも恵まれたまま七十まで生き延びた上、あの世にも晴れがましい祝福の嵐に襲われたのですから、神様、仏様、ほんとによろしいのでしょうかと、おそるおそる御伺いをたてたい気分でもありましたが、折角の贈り物ですから悪びれずに大手を広げて有り難く頂戴致しました。

たださえもう十分モトはとったなあと思っていた人生に、古稀祝いでさらに黒字が拡大し、もうこれからは御恩返しに励むしかありません。五十代から「林住期」の幟を掲げて遊びモードに切り替え、人生の秋の収穫をのんびりと愉しんでまいりましたが、七十代はしばらくエンジンを再始動して、多少なりとも世の中のお役に立つ仕事をしていきたいと思っております。
また、私のささやかな知識経験と一番の資産である豊かな人脈を生かせる寺子屋を開き、「森羅塾」と名づけてポジティヴ・エイジングの智慧と意欲を次代に伝える場にしようと画策中でございます。ヴァンクーヴァーのわが「林住庵」も森羅塾のアネックスとして活用するつもりでおります。具体的なことが決りましたら、ホームページやメールでご案内させて頂きますので、またお出かけ頂けたら嬉しうこざいます。

パーティーに来られなかった方々は、写真でその状景を垣間見て頂こう。撮影者はヴァンクーヴァー仲間の一人で、完璧主婦から五十の手習いでカメラウーマンになり活躍している今泉慶子さん。魚眼レンズの写真は、ちょうどそのときヴァンクーヴァーの我家に滞在中だった畏友大阪市立大学医学部の井上正康教授撮影。そういえば、とてもお話しが面白い井上教授がせっかくいらしたのだからと、急遽、科学的健康長寿法の講演会を企画したら百五十人も集る大盛況。奥様で精神科医の井上啓子さんがウルマンの詩「青春」を朗読して下さったのも感動的だった。


*井上先生の魚眼レンズで撮影

楽あれば苦あり、明あれば暗ありで、夏の前半は爽やかなバンクーバーでこのように祝福に満ちた日々を過していたのに、日本に帰るとまずしつこい梅雨に閉じ込められて鬱々の日々。覿面に鞭打ち症もグオーングオーンと痛み出し、あまりの苦しさに、このまま独りで息絶えてしまうことまで想像してしまう。
やっと晴れたところで痛みも去り、駒場高校以来の親友二人を誘って葉山の上田別荘に泊まり、久しぶりの海水浴。女学生時代の古戦場に戻ってみると昔の海仲間の数人が既に世を去ったということを妙になまなましく意識してしまう。「あの頃は、あんな時間が永遠に続くものだと思っていたのよね」と、誰かが呟いた。
二泊して帰京した彼女たちと入れ替わりに、ホロトロピック・ネットワークの仲間たちが到着。天外司朗、野口法蔵夫妻、早川、山崎の両小魔女の五人で、「大魔女さま」なる私の古希を祝って下さるわけだ。マレー・ド・チャヤでディナー・パーティーの最中、物凄い雷鳴が轟き稲妻が輝き渡り、眼前の海が昼間のように照らし出される。それがえんえんと続き、「どんな花火大会も敵わない大迫力ですね」「さすが大魔女様の誕生日。カミサマも気合が入ってるよ」と、みんな大喜びだった。

 

葉山の上田別荘でにぎやかな休日。

翌日は庭先の七輪で焼いた干物の朝食の後、同じ葉山でも全く風景の違う深山幽谷的環境に建つ藁葺き屋根の風雅な禅堂を訪ねる。これは某財界人の超豪華別邸の一隅にあり、当主の学友で数年前までアメリカで布教していた藤田一照師が住職を勤める。囲炉裏を囲んで藤田師がこっくりと淹れて下さる茶を啜りながら談論風発のひとときを愉しんでから解散帰京。
これで七月は終わり、八月一日には久しぶりの講演のため宮崎に飛んだら台風に迎え撃たれて中止。では代わりに大分の友達を訪ねようと急いで陸路北に向かったら、台風に追いつかれて立ち往生した汽車に何時間も閉じ込められる。でもこんなに若くて元気な台風って東京ではなかなか会えないから、それなりに面白い経験だった。そして翌日は中津の筑紫亭の名物女将・土生かおるさん、宇佐の和田敦子さんなど熟女仲間三人で優雅に湯布院の休日。はじめて泊まった「二本の葦束」という宿も素晴らしい。そのあとも陸路で旅を続け西明石では浴口家、奈良では六本家と友人の家を泊まり歩き、最後に奈良テレビで弓場社長自らのインタビュー番組に出演し、奈良ホテルに一泊。両親が七十六年前に新婚旅行で泊まったホテルである。
ここまではよかったけれど梅雨明けの東京に帰り着いたら、もう凄まじい暑さで身動きもならない。ところがその炎熱地獄をかいくぐってさらに地獄を見るような経験をしてしまったのである。その経過も、友達に宛てたメールの再使用でご勘弁いただきたい。

不動産屋から電話がかかって来たので、寺子屋用に良い物件があったのかと思いきや、KバーのKさんの家賃が遅れていているが連絡がつかないとのこと。
すっかり忘れていたけれど、私が連帯保証人になって借りた物件なのでした。それで幾度電話しても不在。今日遂にKバーに行って見たけれど不在。大家さんも留守。次に自宅マンションを訪ねてみたけれどやはり応答無し。こちらも家主はお盆休みで連絡不能。交番に行って相談しても事件にならない限り警察の出る幕はないというもっともなお答え。ここで諦めかけたけれど、昼食で少し元気をつけたところで気を取り直してマンションに引き返し、住人を虱潰しに当たったら多分ここが仲介したのだろうという不動産屋を聞き出すことができ、その担当者と運よく連絡がつき、ここでも家賃が滞っているということを知りました。ただ、こちらには八月はじめ頃に「体調が悪いので入院しなければならない。それで申し訳ないが家賃は少し遅れる」という連絡があったというのです。でも病院がどこかはわからないとのこと。心当たりのある病院に電話しても個人情報ナントカ法のせいで教えてくれないので、直接押しかけてちよっとエラそうに名乗って頼みこんだらやっと入院名簿を見てくれたけど該当者無し。そうしたら不動産屋が「Kさんの隣の部屋が空いたので数日前に客を案内したが、そのとき隣のエアコンから水が出てるのを見て、もしかしたらまだ部屋にいるのかなとも思ったのですが」と言い出したので、彼と一緒に再びそのマンションにとって返し、隣室のテラスからアクロバティックに身を乗り出してKさんの部屋を覗いて貰いました。

そこから先は詳しく書く勇気がありませんが、朝から次第に膨らんできた不吉な予感が当たり、最悪の事態になっていました。彼は一人ぼっちで亡くなっていたのです。死因はまだわかりません。それは警察にお任せして私はひとまずその場を去りました。一人になるのが嫌で、しばらくかれんの家にいて心が落ち着くのを待ちましたが、こういうときは仕事でもしたほうが気が紛れると思い直し、パソコンのある自宅に戻ってきました。でもやはり仕事にはなりません。 私はあんなにも盛大に古稀を祝われたのに、十歳以上若い彼が病苦の果てに孤独死するなんて、カミサマはなんと不公平なのだろうと思い、沈み込んでいます。

せめて共通の知人にこのことを伝えて彼の冥福を共に祈っていただこうと思い、この嬉しくないメールを書きました。何回も 書きたくないので、数人の相手に同じ文章を添付して送る失礼をお許しください。
それにしても、私が連帯保証人になるとろくことにならないですね。もう誰も私に保証を頼んだりしないことでしょう。

さて、警察が乗り出すと流石にことの運びが早く、富山県の親族の居場所もわかって、翌日には姉上が上京されたのでホッとする。その日は友引だったので翌十五日に落合斎場で荼毘に付し、私も立ち合って骨を拾った。彼の好きなカサブランカを中心にした白い花束を三束持参して、僭越ながら私が代表して走り書きした次のような三通の手紙と一緒にお棺に入れた。

Kちゃん 
有難う Kバーは小さいけれどピリッとスパイスが利いた、本当に得難いオトナのサロンでした。病躯をおしてよく頑張ってくれました。どうぞ安らかにお休み下さい。
Kバー常連一同

Kさん
貴方の洒落た料理、辛口の饒舌、そして厳しい美意識と優しい心遣いを、私達はいつまでも懐かしむことでしょう。
愛と感謝をこめて
桐島洋子 / かれん / ローランド / ノエル

Kさん 
さようなら。でも、もう自由自在なのだから、またヴァンクーヴァーにも飛んで来て下さい。Kさんが好きだった爽やかな光と、クリスピーな空気と、豊富な食材と共にお待ちしています。
大竹加代 / 赤崎チャーリー / 邦子 / 許澄子 / 他ヴァンクーヴァー友人一同

お盆の間はどうせ人を集めようもないだろうから、いずれ落ち着いてから友人相集って追悼会でもすればいいかと思っていたけれど、ローリーが電話をかけまくったら、Kバー一番の常連で大物スタイリストの徳丸真代さんと、えなみ真理子さんがたちまち乗り出して、すぐに翌十六日夜にKバーでパーティーをしようということになった。遺族の方から預かった鍵でバーに入り、徳丸さんとえなみさんがそのスタッフを率いて大車輪で大掃除と宴の準備をして下さる。
そして当日、十人くらいは出席してくれるかなあと思っていたら、なんと五十人以上集って来て店の外まで溢れ出す大盛況だった。細川護煕元首相、女優の桃井かおりさん、版画家の山本容子さん、歌手の石川せりさん、デザイナーの稲葉賀恵さんをはじめいわゆるセレブも目白押しで、Kさんのご親族は眼を丸くしておられる。Kちゃんもきっと喜んでくれたことだろう。


*立っているのは桐島ローランド

*私の右に山本容子さん、徳丸真代さん、細川護煕氏、操上和美氏など

*私の右は壁画の作者エド・ツバキさん、左は稲葉賀恵さん、犬を抱いているのは桃井かおりさん
六月二十九日
五月末にバンクーバーにやって来て三週間が過ぎた。家族が来る前の二十日間は私一人なので、この際また林住塾を開催しようかと思いつき、五月のホームページで告知したのだが、これではあんまり急過ぎて行きたいけれど間に合わないという声が多かった。
私みたいにいつも行き当たりばったりの風来坊と違って、大方の日本人は今日の明日でパッと海外に旅立ったりせず、何ヶ月も前から予定を立てて準備するのが普通らしい。
それで参加申し込みは定員に満たず、六月一日から十日までは愛知の藤原さん、十日から二十日までは神戸の山田さんと、それぞれ一人だけなのだ。
送迎、観光、食事など、何をするにも一人ずつでは手間も費用もあまりに効率が悪いが、商売ではないのだから、それはまあ仕方がない。
ただ、塾生と私が一対一というのはお互いに気が疲れそうだし、午後は自由行動といっても一人で放り出すわけにも行かないから、結局一日中相手をすることになり原稿書きなどできなくなるだろう。
それで急遽、秘書の泉さんを連れて行くことにしたが、彼女は前半しかいられないので後半はどうしようと思っているところへ、昨夏の林住塾に参加した石井さんから「今年も行っていいですか」という電話がかかり、「勿論いいわよ、大歓迎。OG割引するから経験者として塾長補佐をお願いね」と一件落着。

でも、これは私の取り越し苦労で、どの塾生も、来てしまえばすぐ馴染んで別に気疲れもしないし、一人歩きもできる自立した旅人だった。とはいえ、やはり毎日一日中つきあって遊び歩くことになり、机に向かうヒマなどありはしなかった。
なにしろ昨年の夏以来ご無沙汰のバンクーバーだから、手ぐすねひいて待ち構えていてくれた友人から、コンサートだ、食事だ、パーティーだと嬉しい誘いが相次ぐし、皆さんご親切に塾生や秘書もろとも招待して下さるから、林住塾というより交友塾と言ったほうがよさそうな日々である。その様子を一々書いているときりがないから写真に任せる。
深い緑がみずみずしい森を歩くだけで、樹林気功とアロマテラピーになるようだ。
鴨とグースと烏たちが仲良く暮らす池のほとりのピクニック・テーブルで昼食。   大竹邸に三十人が集まった歓迎パーティー。
人類学博物館では先住民の木彫の迫力に圧倒される。
バンクーバーのご馳走はなんといつてもチャイニーズ。   朝食は海を望む明るいキッチンのテーブルで。
夕食はダイニング・ルームでアンティークの食卓を囲む。
ピアニストのアレクサンダー恵子さんのお宅でシャンペンつきブランチ。
日本人移民が活躍したスチーブストンの漁港。

バンクーバーの交友は毎度お馴染みの仲良しばかりだが、今回はちょっと変わった出会いがあった。これまであまりおつきあいがなかったスピリチュアル系のグループから、十三日の夜チベット仏教のリンポチェを囲む食事会に誘われたのだ。リンポチェとよばれる僧は世界に三百人くらいいるそうだから、カトリックの枢機卿より大分多いが、ともかくかなりの高僧には違いない。
林住塾に来ている山田さんも精神世界に関心が深いので丁度いいだろうと思って一緒に参加することにした。スピリチュアル系の翻訳で知られる山川紘矢さんご夫妻も来ていらして初対面。数年前、山川さんがある新聞のコラムで「宗教なんて要らない」 と書かれたとき、私が、山川さんにそんなことを言われたくはない、山川さんがやっていることだってだって一種の宗教じゃないですかというような、ちょっと意地悪なコラムを書いたので、山川夫人が「桐島さんって怖い」と言っているという噂が耳に入っていた。
それでちょっと緊張したが、はじめから友好的に話が弾み、カナダ式にハグもし合ってすべて氷解。我が家にも遊びに来て下さった。

ところで主客のリンポチェは意外なほど若く明るく恰幅のいいお坊さんで、同じ空間にいるだけでわくわくする暖かい波動とただならぬオーラの持ち主なのだ。彼はネパールにあるチベットの難民キャンプで生まれたが、十六才のときダライラマ法王から「達磨大師」の六代目の生まれ変わりと認定された。直前の前世はチベットが中国に制圧されたとき中国に連れて行かれ政治的協力を強要されたが応じないまま獄死した高僧だそうである。
淡々と語られるその身の上話を私は全く素直に信じることができた。彼はダライラマの秘蔵っ子で、ダライラマ七十歳の祝賀行事をとりしきる大役を与えられたそうである。実は私の誕生日もダライラマと同じ七月六日で、今年は七十歳になる。
その古稀祝いをしようとしているバンクーバーにリンポチェとが現れたのがただの偶然とは思えない。私には珍しく思いっきりミーハーして、そわそわとサインやツーショットの写真をねだった上、翌日には我が家にご光来頂いたり、極めて庶民的な店にお誘いして粥やそばの夜食をご一緒したりして、なんだか犬みたいになついてしまった。リンポチェがアリゾナで運営しておられるという瞑想センターにも尻尾を振って駆けて行きたい気分である。
リンポチェが林住庵を祝福してくださった。

十五日はフェリーでソルトスプリング・アイランドに渡って去年にすっかり味をしめた民宿シャンティーに泊まり、菊池明彦さんの素晴らしい自然食を堪能する。ここも軒先にはチベット仏教の小旗がはためき、寝室にはダライラマの写真が飾られている家なのだ。翌朝は沙サタデー・マーケットを愉しんでから水上飛行機でバンクーバーに帰る。
海に面した素敵な工房で面白いスカーフを買う。
民宿シャンティーに仲間たちが集まって太鼓の饗宴に夜が更けた。

二十三日に最後に残った塾生の石井さんが帰国。二十日に到着したノエルと馨林は友達とのリユニオンに駆け巡っていて、一緒に食事をするチャンスも無いから、ようやくきちんとダイエットができる。バンクーバーに来て以来、ついつい食べ過ぎて、日本で折角減らして来た体重が戻り始めているのだ。七月六日、七十歳の誕生日までに七キロ減らすという公約がこのままでは危ない。さあ、頑張らなくちゃ。
五月十一日

急告
「バンクーバー林住塾開催のお知らせ」

かねて構想を語っていた私の寺子屋がどうやら実現の運びになった。中目黒に場所も決まって秋から「森羅塾」という看板を掲げてスタートする予定なので、この夏は準備に忙殺され、カナダで夏休みというわけにはいかないだろう。それで代わりに五月末から一ヵ月余りバンクーバーで過ごすことにした。その間、恒例の「リブイン林住塾」を二回ぐらい開催することは可能なので、ご希望の方は至急ご連絡いただきたい。
今回は私が減量作戦の真っ最中なので、その巻き添えになっていただくセミ・ベジタリアン・ヘルシィ・ダイエット合宿である。といっても折角の旅行に辛い禁欲を強いるつもりはなく、三度三度美味しくて身体に良い食事を愉しんでいただきながら、森や海辺のウォーキングや運動をご一緒しようというプランを立てている。

Aコース
六月一日から六月十日までの九泊十日
Bコース
六月十日から六月二十日までの九泊十日

いずれも定員は三人。客用寝室は二つで、一つは一番景色のよい二階のツー・ベッド・ルームで、二人連れなら当然この部屋になる。一階のワン・ベッド・ルームは庭しか見えないし少し車の音も聞えるがプライバシーのほしい方には落ち着きがいいだろうし、開拓時代の手作りアンティーク家具で揃えた雰囲気も悪くない。
毎朝起床は自由だが九時には森のウォーキングに出発するので、その前にビュッフェの朝食を自由に済ませて身支度をしておくこと。朝の散歩はドライビング・ガイドの車で毎日違う森や海辺や公園に行き、二時間ぐらい歩きながら、途中私と気功や瞑想も試みていただこう。昼食はレストランで軽いランチをとったり、弁当持参でピクニック・ランチにしたり、まあ、そのときどきで。午後は、私は家で原稿書きなので塾生は自由行動。観光、ゴルフ、水泳、ヨガ、英語レッスン、買い物その他いろいろなオプションはご紹介できるし、必要なら私が東京から同行している秘書がアシストもできる。夕食はレストランと我が家が半々くらい。家で食べるときは料理講座も兼ねるので、市場の買い出しから一緒に手伝っていただく。
とまあ大体このような一週間である。もしも折角カナダまで来たのだからバンクーバー以外も見物したいという方には、林住塾の前後の数日を使えるオプショナル・ツアーをご紹介できる。その場合は日本出発前に決めて、帰国便もそれに合わせておく必要がある。例えばカナディアン・ロッキーのツアーに参加した場合、バンクーバーに帰着してそのまま帰国便に乗るのはむずかしいので、また我が家で一泊ということも考えられる。
気候は日本と同じ初夏で一番気持ちのいいときだから、服装も軽やかなものでいい。よく歩くのでスニーカーは必携。バンクーバーはカジュアル一辺倒でおよそドレスアップが必要ない街だが、私と一緒にコンサートやパーティーに招かれることもあるかもしれないので、多少はお洒落な服も一着ぐらい持参なさることをお勧めする。
塾生は三十五歳以上、つまりオトナの女性に限るが、もしご夫婦なら男性の参加もオーケー。自然志向、健康志向で、或る程度私の著作を読み、そのライフスタイルに理解や共感を持っていて下さる方がのぞましい。
費用は最近のカナダ・ドルや物価が上がっていることもあり、経費を算定し直しているので、まだ確定していないが、何分小人数の手造りツアーなので、旅行会社のマスプロ・ツアーよりは大分高くなることはご承知頂きたい。航空券は各自でお求め頂くが、インターネットで見たところ六月のディスカウント・チケットは往復で六万円から十万円ぐらいまでいろいろある。もしマイレージが貯まっていたらそれを活用なさるのもいいだろう。

日程が迫っているので参加ご希望の方は、至急左記宛にお申し込み頂きたい。先着順の受付けにさせて頂く。費用その他、もっと詳しく知りたい方のお問い合わせもどうぞ。

泉美智子(桐島洋子秘書)
携帯電話 090-5168-6461

以上で急ぎのお知らせは終わり、あとはいつものホームページの更新である。

五月十日 あれほど衝撃的だったバージニア大学の銃撃事件も早くも忘却の彼方という感じだが、こういうことに慣れてしまうのは恐ろしいことである。幸い日本はまだ慣れていないから、もしもどこかの大学で二人も撃ち殺されて、その犯人も捕まっていないという状況のまま、いつもの通り学生が続々登校し授業が行われるなんて考えられない。何時間か経ってからようやく開始された学生への通知も静かなメールでというのも、アメリカ流なのだろうか。日本ならこんな緊急時は誰にでもすぐ聞えるようにラウドスピーカーでがんがん警告し立ち入り禁止のバリケードを張るだろうから、三十人もわざわざ殺されに行くことはなかったはずである。
ナントカに刃物というけれど、刃物よりもずっと殺人効率のいい飛び道具を入手する自由が、おびただしい犠牲にもかかわらず断固として擁護され続けるアメリカなのだから、今後もまたこんな事件が繰り返されることは覚悟の上なのだろう。そんな覚悟はない私たちを巻き添えにしないでほしいものである。

さて、四月は取材とか対談とかテレビとか、人と話す仕事が相次いだ。 十日は昼に林真理子さんと「プレシャス」の対談。場所は今話題の最新スポット、東京ミドタウンのリッツ・カールトン・ホテルである。ほとんど最上階のスイートだから高所恐怖症の人なら窓辺には寄れないであろう天空の視点で、東京の表情が凄く新鮮に見える絶景だ。 その夕方は六本木ヒルズに広大なオフィスを構えるゴールドマン・サックスで足助会長のお話を聴く会があり、社内見学では、普通は部外者など近寄ることもできないディーリング・ルームまで覗くことができた。それぞれ億単位の金を瞬時に動かす多勢のディーラーたちがじっと机に向かってパソコンを凝視しているのだ。真剣勝負の殺気がぴりぴり張り詰める光景だった。能力さえあれば年齢や性別など関係ない世界で、若い女性ディーラーでも年収が億を超えることが珍しくないという。しかしそう長くは続かずに燃え尽きてしまう仕事でもあるらしい。四十前に巨富を蓄えて隠退するのが今のアメリカン・ドリームらしいが、日本にもそういう時代が来つつあるのだろうか。私はそんなに急がなくていい時代をトロトロとマイペースで生きることができてよかった。

このところ関西づいている。まず四月八日は大阪城を見下ろすニューオータニ・ホテルで前泊してから日本医学会総会のアンチエイジング・ステージで講演。
ちょうど花盛りだった大阪の桜を堪能してから奈良にも足を伸ばしたら、さらに盛大なお花見が待っていた。奈良に行く度に泊めていただく六本家は、大好きな新薬師寺の又隣りで春日大社のお膝元という最高のロケーションだが、その塀の上から湧き溢れるように咲き誇る樹齢二百年ぐらいはありそうなソメイヨシノがまた凄いのだ。建築家のご主人が自ら設計された土蔵風の白亜の館には大きな丸窓があり、室内ではそれを額縁にした桜がわっと眼前に迫る。まるで桜に抱擁され、その白い胸元に鼻を埋めたように生々しくエロティックで濃密なお花見である。
翌日は大和郡山のお城で桜のトンネルをくぐってからフランスのシャトーのような風格を漲らせる、日本では一番好きなフレンチ・レストラン「ル・ベンケイ」で桜をテーマにした味も姿もビュウティフルなフルコース。午後は宇陀まで足をのばして後藤又兵衛の屋敷跡といわれる丘に大きく枝を広げて立ち尽くす又兵衛桜と対面。その武骨な名前とは対照的に艶麗なしだれ桜で、背後には桃の並木が腰元のように居並び、その濃い桃色がご主人様の淡い桜色をことさらに引き立てている。

「奈良の六本邸の前で」

「大宇陀町の又兵衛桜 六本さんと」

大満足で帰京してひとしきり働いてから、また大阪に舞い戻る。今度は体質改善と減量が目的だ。前回に書いた五力田森の診療所のお別れセッションで一通りの身体検査をしてみたら、体重、体脂肪、コレステロールなど総て史上最高値を記録して愕然、憮然、悄然・・・そしてやおら決然と自らに誓い、周囲にも大声で宣言してしまったのだ。「七十歳になる七月までに断然七キロの減量を達成します」と。
その方法として、かねて関心を持ち、体験のチャンスをうかがっていた健康法がある。
『菜食整腸の奇跡』(皆川容子著・新風書房)という本に詳しいのだが、その皆川さんが重篤な膠原病と、その治療に使われたステロイドの副作用で大腿骨頭壊死となり車椅子無しには身動きもできないまま、絶望的な療養生活を送っていたとき、台湾在勤中の弟さんにの強い勧めでしぶしぶ渡航し、ダメモトで試みたのが楊仙友という先生がその先祖から引き継いだ古い民間療法だった。腹部のマッサージと、生野菜と七穀粉中心の食養生の二本立てだが、これを続けるうちにまず長年の頑固な便秘と不眠から解放され、宿便がどんどん排出されみるみる体重が減り、体調がめざましくよくなって、一年も経たないうちに膠原病はきれいになおり、溶けた骨頭まで再生して、すたすた歩けるようになってしまった。西洋医学では到底説明がつかず、それまでの主治医を唖然とさせた「奇跡」の回復である。すっかり元気になった皆川さんは、この健康法を日本でも広めるようと、大阪にNPОネイティブ・ヘルスを立ち上げ、エヌエイチ・アカデミーで、治療をはじめセラピストの養成、食養の指導などを行い、肝機能障害、高血圧、癌、糖尿病、アレルギーその他さまざまな症状の改善にめざましい成果を挙げているという。肥満解消などは行きがけの駄賃程度のことらしい。
これは本物らしいとピンと来るものがあったので、講演で大阪に行ったとき皆川さんをお訪ねしてみたら、本を読んで想像した通りとても感じのいい方だし、早速体験してみた腹揉みも気持ちがいいので、しばらく大阪に滞在して集中的に受療してみようと決意したのだった。
それで四月二十一日から八泊九日のスケジュールを組んで大阪に舞い戻ったのだ。ここに宿泊施設はないので近くの全日空ホテルに泊まり込み、毎朝まずアカデミーで購入したやさいっこ(トウモロコシ、大豆、ブロッコリー、大麦若葉、緑茶、ケール、キダチアロエなどの粉末)に水を注いだ青汁を飲んでから、三十分ほど歩いて十一時に登校?し、まず一回目のマッサージを四十分。十二時には生野菜料理の幕の内弁当。温野菜は大好きだが生野菜はどちらかというと苦手な私にも結構美味しく食べられる工夫の多い献立だ。主食は楊先生のオリジナルのまずさに閉口した皆川さんが改良した七穀粉(玄米、大麦、はと麦、粟、キビ、大豆、黒ゴマ)で、粉がご飯代わりなんてジョウダンじゃないと思ったら、子供の頃好きだった麦こがしみたいに香ばしく懐かしい味で、意外に食べられる。そしてしばらく食休みの後、二時から二度目のマッサージをまた四十分受けてホテルに帰るのである。体調は上々で、別段ひもじい思いもせず、少しずつ体重が減っていく。七月までに七キロぐらい楽勝だと早くも確信する。

「ランチの幕の内弁当」
「皆川容子さん(私の隣)手作りの生野菜ランチをスタッフの皆さんと」

夕ざれば大阪の愉しいおつきあいが待っている。その中心人物である大阪市立大学病院の井上正康教授は、分子病態学を講じながら、ジャングルのような研究室を阿倍野適塾と名づけて好奇心と情熱に溢れた老若男女の梁山泊にしておられる痛快にぶっ飛んだ先生である。
八日のアンチエイジングの講演に私を招いて下さったのも井上先生だが、ご自身は「シニアこそ格好良く着飾ろう」というメッセージをこめたミュージカル仕立てのファッション・ショー「こころ いのち 彩る」をプロデュースして八面六臂の大活躍だったから「センセー遊びましょ」は遠慮して今回に回したのである。
たまたま適塾の美熟女・砂押桂子さんが江坂駅近くのビルにWITHという素敵なヘルス・アンドビューティー・スタジオを開き、そのオープニング・スペシャル週間と私の大阪滞在が重なったので、頻々と通ってアロマ・マッサージからヨガまで片っ端から体験し、身体磨きに弾みをつけることができた。ここの呼び物は遠赤外線で三十度前後の適温が維持された鏡張りの広いウォーム・スタジオで、この中で行われるヨガやウォーキングのレッスンは、身体が優しく温められて運動効率がいいし、自分の姿勢もしっかりチェックできる。近くに住んでいたらずっと通い続けたいスタジオだ。千里近辺にお住まいで美と健康を志向する方々に熱烈推薦させて頂く。
(吹田市江坂町一―十六―二十八  電話050-5536-7290 info@with-studio.jp

井上先生のお宅にも伺ったら、精神科医の奥様をはじめ、朗読ボランティアなどで大活躍の情熱的な熟女たちの大集合で、凄く濃い時間を堪能させていただいた。

「井上教授と熟女軍団」

今回の整腸・菜食プログラムは二十九日で一応終了し、また奈良に寄って六本家に泊めていただき、翌日は秋篠寺など清々しい新緑を愉しんでから帰京する。連休は娘も孫も葉山に行って一人暮らしなのを幸い、マイペースで野菜ダイエットを継続しながら、溜まった雑用退治に専念する。


五月末に次女の桐島ノエルの『母と娘の毎日ヨガ』という本が息子の桐島ローランドが撮った実技のDVD付きで主婦の友社から発売されるのでよろしく。
四月十八日
三月のホームページも書かないうちに、もう四月の半分が過ぎてしまった。私の悪い癖で、いや、物書きとしては当然の習性だろうが、面白かったことや感動した経験は、しっかり書き残したいと思うものだから、それなりの気合を入れられるだけの時間的、精神的余裕がほしいのだが、なかなかそうはいかないまま、あれよあれよと日が過ぎて、その間に更に書きたいことが積み上げられ、手をつけるのがいよいよ億劫になってしまうのだ。  先日、パリ、ダカール・ラリーに参加した息子のローリーが、砂漠の死闘の最中から書き送っているブログをハラハラひやひやしつつ読みながら、なるほどこういう現在進行形のおしゃべりの方が臨場感があって面白いし、文章など気にすることもなく気楽に書けるから「在庫」を溜め込まず新鮮なうちに片っ端から「出荷」できていいではないかと思った。このホームページだとようやく原稿を書いても、その先は人任せなので、アップされるまでまたしばらく日にちがかかって、いよいよ鮮度が落ちるし、「明日のテレビを見てください」というような急なお知らせは間に合わない。私は依然パソコン音痴でよくわかないのだが、ブログというのはメールを書くのと同じぐらい簡単に自分でどんどん書き込めるらしい。

それで「私もブログに変えようかしら」と人に相談したら賛成する人もいるし、「そんなことしたら収拾がつかなくなりますよ」とか「悪意に満ちた書き込みの襲来で落ち込むんじゃないかな」とか「作家というのはやはりきちんと構えてそれなりの文章を書いた方がいい」という反対意見もあって、いよいよわからない。まあ、挿し当たってはこのままの形で続けて、なるべく頻繁に更新するよう改めて努力しよう。

さて、ご無沙汰の間の在庫を広げはじめたら、それこそ収拾がつかないから、手帳のメモを早送りしながらこの三ヵ月を簡単に回想する。

一月下旬、人口が減りつづける四国の振興策の一つとして、移住やロングステイを誘致しようとしている四国経済産業局が企画した小豆島モニター・ツアーに招かれたので、ヴァンクーヴァー林住塾ОGの熟女四人に声を掛けて参加。五十年前に高校の修学旅行で来た島だ。ここの岩山の石切り場で、黙々と働く人々を見てカミュのシジフォスの神話を連想し「こんな人生もあるのね」とグループ全員でおいおい泣き出してしまったことを思い出す。あのセンチメンタルな女学生も、それぞれの人生をさまざまに過ごし、もう間もなく古希を迎える。小豆島は私たちが変わったほどには変わらず、棚田に湛えられた水には同じ月が静かに浮かび、同じ匂いの潮風を孕みながら緩やかな時間が流れている。

しかし熟年修学旅行は随分忙しく、干物作りや、素麺の箸分けを体験したり、オリーブ畑や『二十四の瞳』の学校や農村歌舞伎舞台を見学したり、盛り沢山の三日間だった。日頃から小豆島の醤油を愛用している私は醤油蔵の訪問にも興味津々だ。大きな樽でぶくぶく発酵中のもろ味を覗いたとき、味見用にと近くの畑で獲れたばかりだという大きな白菜の葉を一枚はがして手渡された。「えーっ、白菜を生のまま食べるの」と戸惑いながら樽のもろ味をつけて齧ったら、そのみずみずしくも深遠な美味は衝撃的だった。ご馳走攻めの小豆島だったが、そのダントツ一位はあのもろ味白菜だと、ツアー全員の意見が一致する。


私は帰途高松にもう一泊。ここには親友のフラワー・デザイナー竹田豊靖さんのシマで、彼女のアトリエの二階にある「とき」の世にも香ばしい自家焙煎コーヒーや、近くの「めん」のごぼう天うどんを素通りするわけにはいかないのである。

いけない、小豆島だけでも、これだけの行数になってしまった。もっとスピードを上げなければ。次の鹿児島は昨秋予定した旅行を風邪でドタキャンしたときの航空券を使わないと無駄になるというセコい動機でなんとなく飛び立ったのだつたが、これが予想外にヒットして、たちまちのうちに凄く面白い鹿児島新人脈ができあがったのだ。その中心は維新の志士を髣髴とさせる熱血医師の堂園晴彦ドクター。私の若き日のボーイフレンドで六十年安保闘争の先頭に立った唐牛健太郎全学連委員長が二十数年前に癌死したとき最後の脈をとったのが堂園医師で、以来熱狂的な唐牛ファンになって関係資料を集めまくっている彼と、唐牛くんの思い出を熱く語り合って夜が更ける。彼は西洋医学にあきたりず、スピリチュアルな領域にもかなり踏み込んでいるドクターだから、そちらの方面でも話が弾みあちこちの異能のヒーラーを紹介して下さった。
ヴァンクーヴァー林住庵のハウスシッターだった馬場理恵さんとも久し振りに再会。帰国してすぐ結婚して次々と三児をもうけ、もうじき四人目が生まれる彼女が男の子三人を詰め込んだ車を大きなお腹で運転して遠路はるばる会いに来てくれたのだ。二番目の子には少し不具合があるようには聞いていたのだが、会ってみたら少しどころか、心身とも発育不全の大変な障害児ではないか。こういう試練の経験がない私など、見るだけでうろたえて暗澹としてしまうのだが、彼女は実に明るくたくましい肝っ玉母さんで、その見事にポジティヴな姿勢につくづく感嘆してしまった。障害児を持つ親たちが堂々と励ましあって生きるためにもと、彼女はミクシーにプログを持って、その子育ての様子を書き綴っているそうだ。これからはときどき覗いてみよう。

鹿児島はまたときどき行くことになりそうだから、今はこのくらいにして、二月に入ると、ここでかなり落込む事件があった。親しい友人が運転中の脳梗塞発作で事故を起し重症で入院しているということを知らされた。脱サラして小さな会社を興しその経営も順調だったが、彼一人の才能が資本のような会社だから、彼がこけてはもう成り立たない。人生何が起こるかわからないものだ。これだけでも十分にショックなのに、数年前彼に頼まれてつい判子を押した銀行融資は連帯保証人の私に返済責任があるというので愕然とする。そういえば「親しい仲でも金を貸すな。どうしても助けたければ貸すよりも与えること。借金の保証は絶対しないこと」というのが、実業家だった祖父の遺訓だったが,、成程こういうことなのかと反省しても後の祭りである。実は幾らの融資だったかも覚えていないので、巨額の負債に押しつぶされて総てを失い子供たちにも迷惑をかけて路頭に迷う余生を想像して青ざめ、その夜は眠れなかった。やがて、それほど破滅的な金額ではないことがわかって少しはほっとしたものの、やはり私にとっては容易ならぬ大金で、どう工面したものかと悩みは続いている。しかしまあ、逆の立場だったよりはましだと思うしかないだろう。

それにいくら祖父の遺訓でも、好きな人の頼みを冷たく突き放すことは、私にはできそうもない。私に好かれていると思う人は、お願いだから、私に保証人など頼まないで下さいね。
というわけでブルーな二月だったが、公私共に忙しくてバタバタと過ぎ去り、月末には松山の講演で温泉とフグを堪能してから、久しぶりのヨーロッパに出発する。深刻な財政状況を思えば外国旅行どころではないのだが、こうなればもうヤケである。いっそしたことのないような浪費でもしてやろうかという悪魔の誘惑さえ感じながらも、いざとなるとやはり倹約ばかり考えてしまう損な性分なのだ。

しかし鞭打ち症が疼く季節にヨーロッパまでエコノミークラスは辛い。英国航空にはエコノミーとビジネスの中間のクラスがあるのでこれにしてみたら、神嘉し給いてビジネスにアップグレードされ、それがもうファースト・クラスといっても通用する結構なシートで完全に身体を伸ばして寝られるし、食事はレストランでもわざわざ注文するに価する結構な料理である。俄然英国航空のファンになってしまった。

ロンドンではいつもお世話になるテイラー邦子さんと郊外の庶民的なスーパーとか、神父の代わりに霊媒が説話や霊視をするスピリチュアル・チャーチ(ここのことはプレシャス六月号の連載エッセイに書いた)とか普通の観光コースにはないところに行くのが愉しい。二人のお嬢さんが会う度に美しく成長しているのを見るのも楽しみだ。今回は彼女の勤め先である病院を訪ねて、職員食堂のランチをごちそうになる。食堂から見える芝生の斜面には大きなハートの形に植えられたフリージアが花盛りだった。その花畑を見下ろすホスピス病棟で死を待つ人々の静謐と、働き盛りの職員の喧騒との対照に、何か物思うことの多いひとときだった。

今回泊まったホテルはルーフガーデン・ルームスと言う名のとおり本当に部屋だけでフロントもロビーも食堂もなく、道路から直接エレベーターに乗り込むという変わったホテルだが、インテリアは上品だし、部屋に運ばれて来る朝食はぐうの音も出ないほど盛大なごちそうだった。

ハロッズの裏手というロケーションも申し分ない。近くのビーチャム・ストリートが私は大好きで、早速出かけたタイ料理の「パタラ」は相変わらず冴えていて、意表を衝いた素材の取り合わせを愉しませてくれた。その近くに見つけたロシア料理はBorshtch’n Tears という、ボルシチ好きの私には抗いがたい店名だ。ロシアンアールヌーボーの赤い壁紙がめぐらされた店内には若い陽気なロシア人がひしめき、ウォッカの一気飲みに盛り上がっている。共産主義時代には考えられなかった光景だ。自由を得て、しかもロンドンに住めるようなエリートたちは、野心いっぱいで、もうわくわくしてたまらないのだろうなと、昔の暗いソ連を思い出しながら感慨に耽ってしまった。

ロンドンに五泊してからユーロスターでパリへ向う。ユーロになって初めてだからなんともう六年ぶりということだ。円高の栄華今いずこのパリで十日もホテルに泊まって外食ばかりしていたら大変だから、ウィークリーのアパートを借りることにしたが、一日目はまだアパートが空かないので、サンジェルマン・デュ・プレのマロニエ・ホテルに一泊し、最初のディナーは懐かしのビストロ・シャンペンチェ。よかった、ここも以前のままだ。しかし翌日、一の贔屓のクスクス屋をめざしてゲテ通りに行ったら、なんとあの店は、しょぼくれた寿司屋に変わっていた。ブルータスお前もか。ああ、パリの楽しみが一つ消えてしまった。このあたりの憤懣は、「遊歩人」四月号の巻頭エッセイ「寿司ブームなんて嬉しくない」にぶちまけたので、ここでは書かない。

アパートを借りたのは正解だった。バスチーユ広場に近いマレー地区は今までに泊まったことがないが、手頃な店が集まった暮らしやすい界隈で、革命前の風情を残した石造りの古いアパートも中は機能的に改装され、鍋や食器も十分揃い、スパイスまで十数種類は並んでいる。さすが食文化で鳴らすパリだと感心し、さあこれまでは指を咥えて通り過ぎるしかなかった市場で、今回は思う存分買い出しをして食べたいものを自由に作れるぞ武者震いした。
とりわけ野菜が愉しみだ。大好きなカリフラワー、芽キャベツ、ちりめんキャベツ、アンディーヴ、ポワロ、アーティチョーク、ウイキョウの根、そして今や春を知らせるホワイト・アスパラガス、・・・・ああ、市場を一瞥しただけで欲情してしまう。朝と昼は食べたいだけ野菜料理を食べて、午後は街や美術館を歩きに歩き、夜はレストランに繰り込んで酒池肉林といこうじゃないですか。同宿した男女四人は年代も仕事もいろいろだが、食いしん坊ということが共通項だから、食卓はいつも歓びに溢れる。
その様子は「ナチュラル・ライフ」というスヴェンソンの会員誌の巻頭エッセイと「プレシャス」七月号の連載エッセイにも書いたからここではパス。


素晴らしいレストランとの出会いもあった。星などついていないし、レストラン・ガイドにも出ていない知る人ぞ知る店で、ウェイターも雇わず、オーナー・シェフ一人だけで料理ばかりかサービスまで、鼻歌唄いながらこなしているのだが、全く文句無く美味しい見事な本格料理が魔法のように現れるし、パテとかデザートは五、六種類もキャセロールごとテーブルに並べてどれでも食べ放題という大盤振る舞いなのだ。sカードが使えないというのに誰も現金の持ち合わせがなく、日曜で両替えもできなかったので、おそるおそるそう告白したら、「ああ、今度払いに来てくれたらいいですよ」と、初対面のそれも何処の馬の骨だかわからない外国人にツケで食べさせてくれたのも感動的だった。でも流行り過ぎては困るので店名を絶対に他言しないことというのが、ここを教えてくれた某有名シェフとの約束だから書けない。でもおごってくれるならご案内しますけど。


この旅では、ユネスコの国際女性デーで日本のキャリアウーマンの代表の一人として講演をするという役目もあった。日本の女性運動について話せという注文だったが、そんなことは私の守備範囲外なので、移動中に少し勉強しようと空港の本屋で参考書を探したら役に立ちそうな本は一冊も見当たない。仕方なく僅かな知識を動員し、「われわれは何者であるか」と問いかけ女自身の改革を呼びかけた与謝野晶子や、「原始女性は太陽であった」と檄を飛ばした平塚らいてふの『青鞜』フェミニズムとか、高群逸枝の母性主義アナーキズムなどを枕にして、あとは自分中心の話にしてしまったら、これが結構ウケて会場に笑いが絶えなかったし、終わったら聴衆が次々と寄って来て、「感動して勇気が湧いた」とか「日本にこんな女性がいたなんて信じられない」とか「フランスで本を出すべきだ」とか過分の賛辞の洪水だった。ちょっといい気分。

ユネスコ大使の公邸で
大使を囲み国際婦人ディの関係者と
パリのユネスコで
松浦晃一郎事務局長と
日本ロレアルの安尾美由紀さん

ロンドンでもパリでも、良い骨董が潮が引いたように姿を消してしまっていることに驚いた。どうせ骨董など買うどころではない状態だが、もしかしたら金策のため売ることを考えるかもしれないので、今の相場を知りたかったのだ。しかし同じようなグレードのものが全然見当たらないではないか。これは一体どういうことなのだろう。
がらくたクラスならまだあるだろうと思ってクリニアンクールにも行ってみたが、ここも面白いものがほとんどなくなってしまった。失望しながらも、私はいいときに骨董を買っておいたなあとほくそ笑む。
と言いながら、クリニアンクールで一つだけいい買い物をした。それは女の細腕では持ち上げられないほど重い赤銅の大きな蓋つき片手鍋で、なんとあの名門ホテル、ジョルジュ・サンクの刻印がある時代物である。家庭の台所で使えるような代物ではないが、私の「寺子屋」が実現した暁にはその食卓に料理の象徴として鎮座させたい。パーティーのときにはこれでブイヤベースでも供したら、どんなにか映えることだろう。

行きはよいよい帰りは怖いで、パリからの帰途には苦労した。まずシャルル・ドゴールでは英国航空のコンピューターがダウンしてチェックインまでえんえんと待たされ、やっと乗っても出発が遅れ、ヒースローでは滑走路があ空くのを待ってえんえんと旋廻する。それでも乗り換え時間はまだ十分あると思っていたら、なんとセキュリティーの関所を三回も通過しなければならないばかりか、その度にパソコンを開き、化粧品の中身も見せ、靴を脱がなければならない。それも運悪く長いブーツを履いていたから履き脱ぎに時間がかかる。さすがに焦って長い迷路を老骨に鞭打ちつつ走りに走る羽目になったのに、搭乗口に辿り着いたときはもう飛行機は飛び立った後だった。チェックインしてある飛行機に乗り遅れたのは初めての経験だ。セキュリティーの観点からすればチェックインして荷物も積んである筈の乗客を置き去りに飛ぶ方が危険なことだと思うのだが、どうもよくわからない。
まあそれですごすごとカウンターに引き返して交渉した結果、翌日の便に席を確保し一泊二食のホテル・クーポンを貰うこともできた。空港に隣接した、まるでユースホステルのように簡素なホテルだったが、夕食のビュッフェが予想外に充実していて、ロンドン最後の晩餐にはすっかり満足し機嫌よく眠りに就いた。

これで一日帰国が遅れたので自宅には一泊だけですぐ大阪に向かい、サントリー文化財団の評議員会に出席し全日空ホテル一泊。ついでに京都に寄って那美麻利子さんのオフィスで机を借りて原稿書きに励んでから夜遊びも楽しみ彼女のマンションに二晩泊まり込んで急ぎの原稿はどうやら書き上げ、心も軽く次は列車で高松へ。一月の小豆島モニター・ツアーの続きで、ロングステイの講演とシンポジウムにつきあってクレメント・ホテルに二泊。次は徳島からフェリーで和歌山へ。釣り名人の山田勝男さんと仲間たちが待ち構えていて、釣りたての鯛のしゃぶしゃぶとか神をも恐れぬ大ご馳走である。海を望む山田別荘に二泊してから、福井の焼き鯖寿司のみち子さんにふとご機嫌伺いの電話をしたら翌日大阪に仕事があるというのでホイホイ大阪で合流して彼女の車で福井に行き福井名物おろし蕎麦や温泉も堪能して、翌日また彼女の車で大阪に戻り、一泊しようとしたら普通の日なのに何故かどのホテルも軒並み満杯で、終電も出たあとだから、大阪で野宿もできないしと大焦り。終に帝国ホテルに一室だけ見つかったらこれが大当たりで、部屋も景色もサービスも素晴らしい。色気のない女二人ではモッタイナイくらいだった。
というような放浪の末、やっと自宅に落ち着いた、と書きたいところだが、もう三月も末で切羽詰まった用事が目白押し。落ち着くどころの騒ぎではなく、ヒースロー空港の悪夢が蘇るほど老骨に鞭打って駆け巡る日々だったが、その間にも愉しい宴が相次いだ。
私も毎日愛用し、ホームページでもご紹介している完璧な健康油ウド・オイルの調合者であるウド博士が久しぶりに来日されたので、二十七日はヴェジタリアンの博士を囲んで銀座の「ナタラジャ」でインドの精進料理。ウド・オイルを輸入している健康デザイン社の大石芳子社長とスタッフ、それから『植物の力』の著者で、インドの生命力に溢れた木工美術の紹介にも努めておられる宗教社会学者の内野久美子さんも一緒で、自然と健康を巡る深い会話が弾んだ。

三十日は中目黒のわが骨董部屋でパーティー。これはヤラセの一種かもしれないと思うのだが、四月にNHKの夕どきネットワークという番組で私が出演することになり、話をするのは生放送だが、パーティーの勧めのような話のときに、実際に客をもてなしている場面のヴィデオを流したいということで、急遽パーティーを開くことになったのだ。客は十人。旅先から慌てて電話して急な客集めを委任したビュウティフル・フォーティースの森田敦子さんはサンルイ・インターナショナルの社長でフランス仕込みの植物療法士。パリでも一緒にユネスコで講演したし、協力して寺子屋を作ろうとしている若い同士である。彼女の大家さんで、もしかしたら寺子屋の大家さんにもなるかもれないITコンサルタントの村上裕康さんご夫妻と、その友人で気鋭の建築家の吉川博行さんご夫妻は初対面のお客様。銀座で画廊を経営する岸本孝二さんは実は中国料理の名人で、葉山の名店マレー・ド・チャヤで年に一回催される上海ナイトでは彼がシェフを勤めるのである。台所が手薄な折から、こんな頼もしい援軍があるだろうか。しかも彼がアシスタントとして呼び寄せてくれた上海から里帰り中のフリーライター石川リエさんは打てば響く「聡明な女」で小気味よく大活躍してくれたし、さらに高松の竹田豊靖さんと、福井の矢部みち子さんという聡明な両親友がちょうど上京中で応援に駆けつけてくれる。頼みの秘書が流感で倒れてどうなることかと思ったけれど、どうやら掃除も準備も間に合って無事取材陣を迎えることができた。

その番組は年配の視聴者が多いらしいので健康志向の野菜中心セミ・ポットラック・ディナーということにして、食卓の中央にはいつも川越の「小野食品」から取り寄せる青大豆の笊豆腐をドンと置く。これは薬味も要らないくらい濃厚な味わいだが、極上のオリーブ・オイルと自然塩がよく合う。和歌山や高松から送られて来た完全無農薬のさまざまな有機野菜は余計な料理などしては失礼なほど新鮮で美しいので、さっと湯がいてみずみずしく大皿に盛り合わせ、ポン酢醤油やアンチョビー・ドレッシングを添えるだけにしたら大好評。神戸の「弓削牧場」から届いた雪のように白い新鮮なクリーム・チーズを青梗菜に載せて削り節をかけるという思いがけない取り合わせも秀逸だ。
岸本さんはわざわざ築地の市場で手に入れて来た京都の筍の中国料理二種。茹でずにさっと油通して軽いえぐみを残した筍を、高菜と炒めた一皿と、上海風にちょっと甘く香ばしく醤油炒めした一皿で、いずれも絶品だった。
締めは村上夫人ご持参の繊細な鯛めしと竹田さんお得意の讃岐うどん。デザートはやはり再び弓削牧場のふんわりと優しいチーズ・シフォンケーキで、まろやかなチーズの風味に魅了された。

三十一日は、以前にこのホームページでご紹介した五力田森の診療所で温泉と岩盤浴とアロマテラピーのフルコース。と書くといかにも愉しい休日だが、実は哀しいお別れの日で、昨年の開所当時から大苦戦を強いられていた経営がついに力尽きて、今月限りでクローズすることになったのだ。理想主義の敗北で、自分のことのように口惜しい。その気持ちを改めて書く代わりに、森の診療所を作った友人の水谷京子さんに宛てた手紙の一部をここに公開しよう。

(前略)

また、短い間とはいえ、五力田のオアシスでもたらされた爽やかな浄化と優しい癒しは、私の心身の深層にいつまでもみずみずしく生き続けることでしょう。貴方とお家族とスタッフの方々の暖かいホスピタリティーに改めて心から感謝申し上げます。

それにしても素晴らしい「城」を築かれたものですね。壮麗な外容もさることながら、隅々の造作、インテリア、器物にまで厳しい美意識と濃やかな心遣いが漲り、流石「女城主」の心意気! と、いつも感服しておりました。
残念な結果にはなりましたが、ともかくあれほど壮大な夢を見事に実現し、さまざまな迫害にも毅然と耐えて最後まで手を抜かず凛々しく頑張られた貴方に心からの喝采を贈らせて頂きます。
時代に先駆けた貴方の勇気と情熱は、決して無駄にはならず、あの施設に結晶化したまま、これからもいよいよ輝きを増していく筈です。貴方自身にとっても、挫折ではなく達成の記憶として尊い宝物になると、私は信じております。

一時は随分消耗されているように見受けられて痛々しかった貴方も、最後の日には吹っ切れたように明るく澄み切った表情で、惚れ惚れするほどの女前でいらっしゃいました。デジュリドウーのコンサートでお世話になったときも、なんてカッコイイ方だろうと眼を瞠ったものですが、それより更に一段と磨きがかかった感じなのです。これなら苦労するのにも悪くないなと不謹慎なことを思いましたが、私だったらあれほどの苦労には耐えられず磨かれる間もなく潰れてしまったかもしれません。
お嬢様育ちなのに随分強い女でいらっしゃるのですね。「強い女は美しい」という私の持論にまたひとり立派な見本ができました。

(後略)

やっと三月分まで書き終えた、ふーっ、四月については改めてということにして、もうそろそろ寝ようと思いながら、ふとテレビを見たらヴァージニア工科大学の銃撃事件第一報で、そのままCNNに釘付けになる。なんということだろう。銃社会アメリカの病巣を鋭く抉ったマイケル・ムーアの「ボウリング・フォー・コロンバイン」をついこの間何故かフッと見直したくなってDVDを借りたばかりなのだ。まるで無意識の悪い予感が現実になってしまったみたいでぞっとする。

次回のTODAYは、この続きから始めることになるだろう。
二月七日
バリ島は本当に癒しの島だった。昨秋以来しぶとく気管支に棲みついてコンコン啼き続けていた意地悪狐もミストサウナのように熱く湿った空気に押し入られてはひとたまりもなく、尻尾を巻いて退散する。まるでバナナを剥くみたいにスルッと元気になったので、潮風がびゅうびゅう吹き渡るオーシャン・フロントのプールに飛び込んで久しぶりに泳ぎまくり、湘南少女にタイムスリップして、今年は古希を迎えるなんて実感は皆無のお正月を思いっきり愉しんだ。
この年越しは京都のブティック摩那ハウスの摩利子さんと、そのビジネス・パートナーでバリ在住の恵子さんが一緒なので、炎暑の中を毎日布や雑貨の買いつけに駆け巡る二人につきあいながら、ところどころで休憩かたがたスパに飛び込んでオイル・マッサージやクリーム・バスの悦楽に浸る。クリーム・バスというのは、フワフワのクリームをたっぷりつけた頭を強く優しく徹底的に揉みほぐしてくれるもので、その絶妙な手技はデコルテから腕にも及ぶ。これは着替えたり寝たりする必要はなく椅子にかけたままでいいのに、何時間も極楽に招かれていたくらい心身の芯から快く癒されるのだ。
バリ島のホテルのお正月 
摩耶ハウスの摩利子さんとホテルの
テラスで
市場の問屋で布選び
やがて摩利子さんがタイに移動したので数日は一人で過ごしたが、今度は「みち子がお届けする若狭の浜焼き鯖寿司」が大ブレイクした福井のみち子さんが超多忙の中を無理して飛んで来てくれる。初めてのバリだし僅か三日の滞在だから思いっきり贅沢なホテルの方がいいだろうと、普段私だけなら敬遠するスーパー・デラックス・クラスの某ホテルを予約しておいた。みち子さんは深夜の到着だが、私はそれまで泊まっていたリーゾナブルなマイ・クラスのホテルをチェックアウトしてすぐそちらに向う。なにしろ一泊六、七百ドルだもの。一時間だって無駄にはしないわよと、私はやはりセコイのだ。
タクシーがホテルの領土に走りこんでからもまだえんえんと道があり、ようやく門に到達すると、ガードマンが大勢待ち構えていて、おいおい、ここはアメリカ大使館かよと言いたくなるくらいぴりぴりしたセキュリティー。でもトロそうな番犬だけは可愛かった。
吹き抜けの壮麗なリセプション・ロビーの隅にバティックの腰巻を纏い、寄り添って座っているいたいけな少女が二人。まさかこんな所に物売りがと怪訝に思ったら、すっと近づいて来て恭しく合掌し、小さな花飾りを差しだすために雇われているのだった。北朝鮮の喜び組をふと連想。エリートなのかもしれないけど何か可哀想。
海を俯瞰する広大な敷地に点在するオーシャン・ビューのヴィラそれぞれに門構え、プライヴェート・プール、東屋があり、専任だというバトラーが恭しく出迎える。
景色、プライヴァシー、恭しいサーヴィスが、バリのスーパー・デラックス・ホテルお得意の三点セットで、最初はおおっ、流石と感心し、すこぶるいい気分だが、私はすぐ面倒くさくなる。王様でもないんだからさ、いちいちそんなに恭しくしないでよ、パッパッとすることさえしてくれたらそれでいいんだってば。でも皇族になんてなったらこれが毎日なんだろうなあ。雅子妃が欝病になるのもわかります。
なにしろ何事にも人のサーヴィスを必要とするし、ホテル内でも一々電動カートを呼ばなければ何処にもいけないのがまどろっこしくて、結局お茶一杯飲まず独りウッソリとヴィラごもりである。  
そうだ、みち子さんが着く前に一仕事済ませてしまおうとパソコンを広げ、一応メール・チェックもしたいと思ってフロントに接続の方法を尋ねたら一回十五ドルだって。途方もない宿代なんだからメール・チェックぐらいサーヴィスでもよさそうなものなのにと気を殺がれ、それでは一風呂浴びるかとバスルームに歩み入ると、 猫脚の優雅なバスタブには既に三分の一くらい水が張られ、その表面は綺麗な花びらで埋まっている。
ああ、これが名高いフラワー・バスなんだ。洒落たキャンドルやいろんな香油も置いてあるし、わーい、気持ちよさそう。でも、一人で入るのはモッタイナイみたいとそわそわしながら服を脱ぎかけたとき、若い白人のカップルが寄り添ってフラワー・バスに浸っているロマンティックなカラー写真が飾られているのが目に入った。その横に細かい字でぎっしりと何か書いてある。なになに、「フラワーバスと共にキャンドルをともし、薫り高いインセンスをお焚きします。二時間前までにご予約ください」だと。えっ、なんと有料で二十ドルだって。さらに「フラワー・バスとともによく冷えたスパークリングのロゼワインをお楽しみください」が四十五ドルで、フランス産シャンパンなら百ドル。そして全てに税金とサービス料二十パーセントが加算されるのだ。
俄かに白けてシャワーだけで汗を流し、備え付けの甚平風のガウンを着て驚いた。紐を通すために脇に穿たれているべき穴がいくら探してもみつからない。仕方なく袖の中を通して何とか結ぶことはできたが、当然引きつってはなはだ具合が悪い。たまたまこの一着だけに間違いがあったのだろうと別の一着を調べてみたが、やはり同じ珍構造なのだ。今まで大勢の客が着たはずなのに誰も文句を言わなかったのだろうか。いや、あの写真のアベックのように、一糸纏わずお互いの裸身をウットリながめながら終始いちゃついていたい客しか泊まらないのかもしれない。
そうか、ここはハネムーン専科のスーパー・デラックス・ラブ・ホテルなんだよね。そう思えばすべてに得心がいく。私だって花嫁だったら誰とも顔を合わせずヴィラにこもっていたいし、パソコンを使いたいとも思わないだろうし、花婿たるもの花や香りやシャンパンの値段を気にするわけにはいかないだろう。
結局入らなかったフラワー・バス
場違いな客は退散した方がよさそうだと、すぐさまコンセルジュに「申し訳ないけど、後から来る連れは山が好きなので明日はウブドに移ることにします。ウブドのいいホテルを紹介して頂けないかしら」と電話したけれど反応が鈍く、再三催促してやっとインターネットのホテル案内の幾つかをプリントしたものが届けられたけれど、あまりピンと来ないので日本に電話してかれんに相談し、翌日はスミニアックの「レギャン」、その次の日はウブドの「イバ」を予約した。最初の某ホテルが十としたら次が八、次が六と宿代はだんだん安くなるが満足度は下がらず、一番高いところが一番詰まらなかった。
と、悪口は書いたけれど、ときには金を惜しまずバリの贅沢ホテルを愉しみたいものだ。それはいろんな贅沢の中で、最も価値ある贅沢の一つだと私は思う。自分の懐具合にふさわしいマイ・クラスでゆっくりしてから、最後の一日だけ「アマンダリ」のような特級名物ホテルで豪奢な夢を見るのもいいだろう。
レギャン・ホテルのバルコニーで
寛ぐ私
ウブドのイバ・ホテル 
イバには遺跡という意味がある。
しかしどんなに素晴らしいホテルでも、なぜか食事だけは感心しない。レストランもあまり冴えない。失望の連鎖の末の結論は、バリでは市民のためのテイクアウトの惣菜が一番美味しいということである。鯵の香り揚げ、鶏のカレー風味焼、蒸し豆腐、牛肉の煮込み、コロッケ、青菜にんにく炒め・・・と書くと変哲もないが日本では思いつかないようなスパイシーな味付けがそれぞれ面白い惣菜を十数種類も買い込んで、恵子さんのお宅の食卓にひろげた最後の晩餐が今回のバリ旅行最高のご馳走だった。バナナの葉に包んで紙でくるむというエコロジカルなパッケージも嬉しい。
衣類や雑貨は凄く安いし面白いものが多いからショッピングはいつも嬉しい収穫がある。今回もオレンジとオリーブという華やかなアンサンブルのロング・ドレスを買って帰り、五力田診療所の講演会で早速着てみたら予想以上の大好評。たった三千円よと言っても誰も信じない。イッセイなら似たようなものが二十万円ではきかないものね。
街の総菜屋のショウ・ケース
そしてバリはマッサージ天国だ。高級ホテルのスパは日本並みの値段だが、地元の人もいく街中の店なら一時間ゆっくり丁寧に揉んでもらって千円ぐらいという安さで技術もなかなかだから、できることならスカウトして日本に連れ帰りたいと思ってしまう。
いつでも凄い暑さで町歩きはラクではないが、タクシー代は極めて安いので、いいタクシーと出合ったら借り切りにして、運転手付き自家用車を持った身分を味わうのもいい。私が知り合ったとても誠実な個人タクシーをご紹介しておく。(運転手:EKA 携帯電話番号62-081916272617)英語を話すし車はエアコンつきの日本車だ。日本から電話しておけば空港に迎えにも来てくれるし、予算相応のホテルやレストランや観光コースも教えてくれる。私もまた友達を連れてくるからよろしくと約束したので、次の冬ぐらいに林住塾ツアーのバリ島版を募集しようかと思っている。
バリ最後の晩餐
すっかり元気になって一月中旬に帰国して以来、小豆島に行ったり鹿児島に行ったりと旅続きで、あっという間に一月も末である。それぞれに面白かった旅の報告は次に回して、取りあえず一月のホームページをアップしなければならない。
あ、もう一つのご報告。息子の写真家・桐島ローランドが、なんと世界で一番過酷なパリダカ・ラリーに、それも裸一貫のオートバイで出場し、毎回何人かが死ぬ危険がゴロゴロのアフリカの大砂漠八千キロを激走するというとんでもない冒険に挑んだのである。その状況を刻々と自ら報告するブログがあることを発見したので、毎日それを読んで、「ああ、今日も生きていた」と無事を確かめるのが日課になったが、生命はなんとか無事でも膝を痛めたりクビを痛めたり、身体もバイクもぼろぼろで、どうしてこれで走れるのかわからないという有様なのだからもう気が気ではなかった。それでも頑張り抜いて見事に完走。アマチュアが初出場で完走というのはたいしたことらしい。天晴れ、ローリー、よくやったと親バカ全開で祝福の嵐である。そのブログはまだ読めると思うので、よかったら覗いてみて頂きたい。想像もつかない世界で結構面白いですよ。
Rolling Rowland kirishimaで検索すれば出てくる筈である。 ROLLING…桐島ローランドのパリダカ参戦記
Rolling Challenge Dakar 2007
http://ameblo.jp/rolling-blog/
十二月二十七日
 十月に風邪をこじらせたことからバタバタとドミノ倒しのように故障が続くしんどい日々を過ごすうちに早くも師走に突入してしまった。一応元気にはなったもののまだ気管支炎だから、寒くて乾いたヴァンクーヴァーは敬遠してミストサウナみたいに高温多湿のバリ島で年を越し、十日頃までゆっくり静養することにした。今日二十七日に出発する。年賀欠礼になると思うがどうぞお許しいただきたい。来年はホームページにもっと気合を入れるつもりだし、寺子屋も春にはようやく開校できそうな感じになって来た。

  秘書募集にも、こちらにキャパさえあれば全員にお願いしたいくらい希望条件どおりの方にばかり応募して下さって、嬉しくも悩ましいことだった。深く御礼申し上げ、これで今回は募集は打ち切らせて頂く。

  ところで身体の不調も悪いことだけではなく、おかげで素晴しい診療所との出会いがあった。これは行かなきゃソンですよと友達に勧めまくっている穴場なので、ホームページの読者にもご紹介しておきたい。別に病気でもないのに診療所なんてと思われるだろうが、ここは病気よりも健康のためにこそ行きたい場所なのだ。
  めざましい進歩を続ける近代西洋医学と、長年積み重ねられ深い経験と叡知と大自然の力をいかす伝統医療を、いいとこどりで仲良く融合させようというのが、私も一員になっている統合医療学会の理想だが、それを早くも実現したのが、この「五力田 森の診療所」である。都心から三十分ぐらいでこんなに豊かな緑があるのかと眼を瞠る多摩丘陵のみずみずしい竹林を背に昨年忽然と出現したリゾートホテルのように壮麗なスペイン風の館が、なんと診療所で、内科、整形外科、リウマチ科、皮膚科もあれば、生活習慣病療養プログラムや癌温熱療法プログラムもある。私にとって何より嬉しいのは、新しく掘られた温泉で、豊かな掛流しの黒っぽいお湯は実によく温まり肌がつるつるになる。 ラドンを含有したセラミックの岩盤浴はびっくりするほど汗がでるし、周囲にふんだんに使われた檜の香りはそのままアロマテラピーになる。運動療法用の流水プールは私の鞭打ち症や膝痛に絶好だ。それから食事療法というのもあるのだが、あの切ない病院食を想像したら大間違いで、優れたシェフが腕を振るった美味しい自然食がずらりと並んで食べ放題のグルメ・ビュッフェなのである。例えば本日の献立は、ふくさ卵、手づくり豆腐、鮪しゅうまい、野菜のお焼、南瓜のてんぺ餡かけ、大根のナムル、ほうれん草のナムル、ヘルシー・ポトフ、ジャガイモと豆乳のスープ、ボンゴレ・スパゲッティー、牛肉の野菜巻き焼バルサミコ・ソース、身欠き鰊の煮付け、烏賊のチリソース炒め、炒り玄米の滋養粥、生姜ご飯、手打ち蕎麦・・・という調子で、どれも魅力的だから食べずにはいられないが、一口ずつでも大変な量になり、とてもダイエットどころではないのが困りモノなのだ。
  私が連れて行く友達はみんな健康だが、最初に一応簡単なヘルスチェックを受ける。これがなかなか面白くて、体重計を少し複雑にしたような機械に乗るだけで、体成分分析、骨格筋、脂肪、肥満診断、筋肉バランス、栄養評価、身体強度といった項目別に解析された私の身体状態がたちまち図表化される。私は過体重、肥満もいいところで、流石にこれせはなんとかしなけばと真剣に反省している。
  とはいえチェックのあとはもうルンルン湯治気分で、温泉と岩盤浴をゆっくりと楽しんだ後で、グルメ自然食を鱈腹食べる仕合せな半日を過ごすのである。これだけ全部で支払いは五千円。ええっ、それだけでいいの、東京のスパなら温泉に入るだけでそれくらいかかるのにと皆びっくりする。
  ところが宣伝が下手なのかほとんど人に知られずいつもガラガラだから、これで一体経営が成り立つものかと心配してしまう。いやこのままでは成り立つはずがないことは明らかだ。でも成り立ってくれなければ困るから、私も微力ながら一生懸命応援することにした。
  どうぞ皆様もお誘い合わせて是非いらして下さい。絶対喜んで頂けると思いますから。小田急線新百合ヶ丘駅で多摩線に乗り換えて一つ目の五月台から徒歩六分。住所は川崎市麻生区五力田 四一四の一、電話は〇四四-九八一-〇〇五七。もっと詳しくは森の診療所のホームページ、http://gorikida-clinic.jpをご覧頂きたい。

  なお、一月十二日には私の講演会「聡明な女は身体を磨く」を森の診療所で開催する。
  また、一月十五日は私がご案内する五力田森の診療所体験日帰りツアーを企画しているので、参加希望者は私のホームページ経由で申し込んで頂きたい。五月台駅前午前十一時集合でヘルスチェック、食事会、岩盤浴、温泉コースで会費は五千円くらい。別料金でアロマテラピーとかいろいろオプショナルもある。

  ではこれからバリ島に行って参ります。皆様もどうぞお元気に良い新年をお迎え下さい。
十一月十日
 寺子屋構想に関するアンケートに続々とメールを頂いている。是非参加したいという声が多くとても励みになるが、それぞれに返信する余裕が今はないので。取り敢えず皆様にここで心からの御礼を申し上げたい。

   帰国以来、留守中に山積した郵便と雑用の始末に追われ、やっと一段落したらもう十月で愕然としている。夏の間に目途をつけるつもりだった本二冊は、ほとんど手つかずのまま持ち帰るという不甲斐ない有様だし、来年の新年号から始まるエッセイの連載二つの締め切りが近づいているのに、まだなんの準備もしていない。寺子屋なんて夢を膨らませてる場合じゃなかろうがという声が聞こえるようだ。

  それからもう一つ困ったことには、カナダへの出発前のバタバタの中で大事な大事な住所録を紛失してしまったのである。それ以来、電話番号を暗記しているごく少数の家族友人と、文化人名録に出ているような知名人と、メールの着信記録がある方々以外には、こちらから連絡することができなくなってしまった。夏休み中は、いっそさっぱりと浮世離れできて丁度よかったが、帰国して仕事モードに切り替えてみたら、コミュニケーション機能が麻痺状態で、半身不随の有様なのだ。名簿の再編成が急務であることは重々わかっていても、おびただしい名刺の整理を考えるだけでぞっとして、当分はこのまま「去るものは追わず来るものは拒まず」をきめこもうと思っている。
  このことでもつくづく痛感するのは、私の記憶力や事務処理能力、それから体力があきらかに減退していることである。もう七十になろうとしているのだから、これも自然なことなのだろう。一人で何もかも背負って背負って頑張ったりせず、手放せることは手放して荷を軽くしていくのが、賢い年の取り方だと思う。
  それでやはり秘書がほしいと真剣に考え始めた。これまで四十年近く物書きとしてかなり忙しく働き続けて来た私なのに実は今まで秘書というものを持ったことがない。ときどき臨時のアシスタントが手伝ってくれることはあったが、特定の人が常時勤務することはなかった。私に雇い主としての度量や経済的余裕があるのか自信を持てなかったし、ストーカー的なファンに乗り込まれて懲り懲りしたこともあったりして、人を家に入れることが億劫だったのだ。
しかしこの際、ポジティヴ・シンキングに切り替え、本当に有能で信頼でき、気立てがよくて一緒に居心地のいい人が、世界のどこかで職を探しているかもしれないと思うことにした。

  四十代から五十代の心身ともに健康な日本人女性。未婚、既婚、離婚のいずれでもいいし、子供の有無も問わないが、今現在は一人で常時私の家に住み込み、ときには地方や海外に同行し長期滞在もしたりする自由のある人。学歴などどうでもいいが、きちんとした日本語能力と、成熟した大人としての常識と教養のある人。生活者として有能で、特に掃除や整理整頓に自信のある人。料理が特に上手である必要はないが、食生活を大事にする人。健康や自然環境の保持に真摯に努力する人。煙草を吸わない人。明るくポジティヴな人。余計な欲や野心のない「足るを知る」人。本質的に真面目で責任感の強い人。
以上が私の片腕として望ましい人間像である。

  また、パソコンと車の運転は、絶対条件ではないが出来たほうが仕事に役立つし、いまは出来なくてもこの際ちゃんと習得しようという意欲と能力はあってほしい。英語の心得もあるにこしたことはないが必須ではない。まあ、意欲さえあれば日常会話くらいは徐々に身につく環境だと思う。他に、簿記、庭仕事、などの能力も必須ではないが、あれば役に立つし、マッサージ能力は特に歓迎される。

  桐島洋子の熱心な読者である必要はないが、多少は私について知識があり、その生き方に共感できる人であることが望ましい。そして、誤解のないようにはっきりお断りしておくが、私程度の作家に華麗で豪奢な生活など期待したら大間違いで、私はなんとか暮らせる程度の稼ぎしかないから、当然生活は質素なものだし、それ以上の欲もない。女性誌のグラビアなどに優雅な暮らしぶりが紹介されたりするとしても、それは仕事上格好つけているだけで、普段はヨレヨレのシャツとジーパンで髪振り乱したまま終日パソコンにしがみついているようなしんきくさいオンナなのである。いわゆるセレブに憧れたり、華やかな社交生活に仲間入りしていい思いができるかもと期待するような上昇志向の強い人は全くお門違いだと予めお断りしておく。また私は弟子など求めているわけではないので、物書き志願の方もご遠慮頂きたい。

  うるさくいっぱい注文をつけておきながら、こちらが提示できる条件は至って貧相である。
  仕事は郵便や書類の始末、電話の応答、スケジュール管理、客の応対などのいわゆる秘書業務だけではなく、掃除洗濯、炊事、買い物などなど家事全般を期待されている。つまり主婦業だと思ったほうがいいだろう。一々私の指令に従うのではなく、主体的、自律的に家をとりしきる有能で意欲的な